ゴミ収集人はハーバード大学以上の競争率を勝ち抜いた「エリート」
そんなニューヨークには、日本のような「ゴミ収集所」が存在しない。ゴミの日に自分のアパートやオフィスの前にゴミ袋を置いておくと、それを収集車が1つひとつ回収しに来るのだ。それゆえゴミの日には、歩道に黒い塊が長い列をなし、歩行者は、狭くなった歩道を圧迫感をもって歩くことになるのだが、驚くべきことは、その歩道に積まれる黒いゴミの山の隣に、家具がドンと捨てられていることだ。
日本では粗大ごみを捨てるのには事前に予約が必要だったり、有料だったりするが、ニューヨークでは、ゴミの日に歩道へ出しておけば、無料で勝手に回収される。特に6月から9月の引っ越しシーズンには、ベッドからタンス、立派なソファまでもが捨てられているのをよく目にする。
こうしてニューヨーク市内から出される1日のゴミの量は約4万トン。1週間余りで、エンパイアステートビルと同じ質量のゴミが出されている計算になる。しかし市は、自身のゴミ処理場を持っておらず、ほぼすべての一般ゴミを、トレーラーや鉄道、船を使って市外、州外、時には国外へ運び、埋め立てている。このゴミ輸送時にも、温室効果ガスを排出することを忘れてはならない。
余談だが、そんなニューヨーク市のゴミ収集マンの年収は想像以上に高く、中には年収が1,000万円を超える人もいる。また、年金や医療保障なども充実しているため、当然求人募集には応募が殺到するのだが、テストや運転技術などといった多くの適性検査に合格し、雇用されるのはほんのわずかである。2015年のデータによると、9万人ものエントリーに対し、採用されたのはわずか500人。倍率は1%にも満たない。ハーバード大学への合格倍率が6%と考ると、彼らがどれだけの「エリート」なのかが分かるだろう。
ゴミを出すことで、「人もうらやむ雇用」が生み出されているとは、なんとも皮肉なことだ。
日本には、「掃除当番」という役割が小学校、場所によっては幼稚園の時代からから存在する。一方のアメリカでは、「学生は勉強するのが仕事。掃除をするために学校に来ているわけではない」という考え方が一般的だ。筆者が周りのアメリカ人に、日本の学生が机を下げ、教室の床を雑巾がけしている動画を見せたところ、「かわいそうに」とつぶやいていたのが印象的だった。
環境問題に対する感覚や意識は、文化的背景の影響が強い。が、深刻化する地球温暖化を考えると、それら垣根を取り払い、一人ひとりが自分の出すゴミの今後を考える必要がある。根気と時間を要する問題ではあるが、ニューヨークの街並から、少しでも黒い塊がなくなる日が来ることを強く待ち望んでいる。
<文・橋本愛喜>