コーヒーフィルターで窓を拭くカフェ店員
元々アメリカには、トランプ大統領がパリ協定離脱時に発した「(同協定は)アメリカにとって不利益だ」という言葉を裏付けるように、環境問題を自然科学的な数字よりも、効率や経済に与える影響を優先してとらえる傾向がある。実際、生活している中で、「節水」「節電」といった言葉はほとんど耳にしない。したとしても、それは「光熱費の削減」のためで、まだまだ「環境問題」にはリンクしていない。
そんな「効率・経済優先」の姿勢が顕著に表れるのが、ゴミ問題だ。
例えば、アメリカには雑巾を使う習慣がない。汚れをとった布巾をわざわざ洗い、干して繰り返し使うのは、彼らにとっては効率が悪いことなのだ。結果、最終的にはゴミにしかならないペーパータオルでトイレ掃除から窓ふきまでを行う。ある日、いつも通っている某大手コーヒーチェーン店で、そんなペーパータオルもなかったのか、店員が大量のコーヒーフィルターを使って窓を拭いていたのには、心底驚いた。
さらには、スーパーでの会計の際、大概レジ係が商品をレジ袋に入れてくれるのだが、そのレジ袋はほとんどの場合、二重にされる。アメリカのビニールは、生産時に有害物質を出すという理由からクオリティが悪く、二重にしないとパック牛乳1本入れるだけで破れ、客からのクレームの元になるのだ。
当然、袋が2枚になればその分ゴミも2倍になるため、彼らの「有害物質対策」は、功を奏しているのかよく分からない。
中でもニューヨークに住んでいて最も驚かされるのが、彼らのゴミの分別に対する意識である。
環境問題取り組みの基本ともいうべきゴミの分別。その方法は、日本から来た人間からすると、実践するのを躊躇してしまうほどに緩い。
が、その緩い取り決めでさえも市民には窮屈なのか、未だ使用されている黒いゴミ袋に、瓶・缶・生ごみを一緒に捨てることが一般化しており、1種類しかない横断歩道前のゴミ箱にも、実にバリエーション豊かなゴミが捨てられている。ゴミを分ければ、施設も収集車も、労働力も分けなければならないことから、「リサイクルには金がかかる」、「全部一緒にぶん投げたほうが効率がいい」という考え方が、国民にも浸透しているのだ。
最近では分別に対する取り締まりを強化する動きもあるが、結局のところ、取り締まる市の職員もアメリカ国民であるため、国民一人ひとりの美化意識はなかなか向上しない。