当時、威勢の良かった筆者はこれらを埋め合わせるべく、自分の持ち合わせる最大の営業スマイルで「少しでもいいので工賃をくれないか」と何度か取引先に頼んだのだが、「他の会社は無償でやっている」「今後は他を探す」と言い放たれるばかり。
溜まったストレスは、1人になれる帰路のトラック車内で、彼ら担当者にあだ名をつけて発散させていた。手に油が少しでも付けばすぐに洗いに行って当分帰って来ない購買部の担当者には「ラスカル」、完璧な仕事にも毎度必ず首をかしげて無言の保険をかけてくる検品担当者には「慢性肩こり」。共感してくれるのは、工場で働く営業マンだけだったが、それでも幾分気は晴れた。
前出の「親事業者との取引に関する調査」の書類に回答した内容は、一切親事業者には伝わらないという。が、いわゆる「チクり」のようで気が進まないことに加え、逆恨みなどを気にして泣き寝入りする下請けも未だ少なからずいる。
当時、筆者も「どうせこんな紙切れに正直なこと書いたところで、元請が変わるワケないじゃないか」という思いがあった。というのも、こういう「下請けいじめ」をするのは、「下請法」の存在を知る元請け上層部ではなく、その会社の第一線で働く工場マンで、下請法の存在や詳細を知らない作業員がまだまだ多かったのだ。
それに彼ら工場マン自身も、上からの圧力に毎日押さえつけられながら仕事をしていることは斟酌すべき点だろう。
世界屈指の「縦社会」国家である日本。尊敬語や謙譲語を操り、役職や位で呼び合う社会では、下にいけばいくほど時間もコストも不足し、末端に満たされるのは「変更」や「中止」などで生じる問題ばかり。
ハンコがないと動けず、逆にハンコのせいでフレキシブルに対応できない体制が出来上がっている。上司にせがまれ、短納期・低賃金を現実化しようと思えば、彼らの「下」に位置する下請けに矛先を向けるしか道がないのかもしれない。下請けも大変だが、大手の第一線現場従事者も大変だったんだなと、工場を離れ、「上下」から解放されて分かるようになった。
昨年度、公正取引委員会が行った下請け企業に対する親事業者への勧告や指導の合計は、過去最多の6,603件にのぼる。また、今年の1月からは「下請けGメン」なる調査員による監視やヒアリングを強化させ、取引の公正化を図ることで、中小・零細企業の経営の安定と賃上げにつなげる動きも活発化し始めた。
フットワークの軽い中小・零細企業は、日本の技術発展の鍵をにぎっている。目先の利益だけで、下請けをぞんざいに扱うことは、大手企業にとっても日本にとっても、決していい結果を生み出さない。下請法の存在や内容を会社全体に周知させ、守らせることが、親事業者が今後「大風邪」を引かないための大きな予防策になるかもしれない。
<文・橋本愛喜>