日本があまりに優れているのか、アメリカが適当すぎるのか
筆者の両親は、なぜかレトルトのご飯や炊飯器、切り餅など、炭水化物を娘に届ける情熱がハンパなく、送ってくる荷物は毎度10キロを軽く超える。
再配達がなされない荷物を手に入れる手段は、3-4日以内に郵便局に自ら取りに行くしかなく、郵便局に赴けば同じ思いで来局した人たちの長蛇の列。待っている間、客同士で文句を聞き合いながら順番を待っては、重い炭水化物を自ら背負って家まで運ぶ。ゆえに、郵便局のドアの出口を出た時の気分は、まるで「自らが郵便局員」である。
それだけではない。筆者が渡米当初、最も驚いたのは、国内郵便の場合である。受取人が不在だった場合、荷物はなんと、外に放置されてしまうのだ。
中には、雨に濡れないようにするためか、はたまた盗られないようにするためなのか、花壇に生える雑草に隠したり、玄関マットで覆ったり、ドア上にあるサッシに器用に挟んだりしてくれる“心ある”配達員もいるが、日本ではそもそも配達荷物を地面に置くことすら失礼に当たる行為であるゆえ、自分の名前が書いてある荷物が“野宿”しているのを初めて見た時には一瞬、心の底からイラついた。
だが、すぐに「そうか、郵便局まで取りに行かなくていいのか」と思ってしまっていることに、複雑な念を抱いたものである。
日本にいると気付きにくいが、日本国内の配達サービスの高さは、世界最高水準である。同じ一軒家に住む彼らに、日本では配達の時間指定が2~3時間区切りで選択でき、再配達も無料でできると話すと、誰一人として信じてくれないほどだ。それがゆえ、ニューヨークに住んでいると、日本の配達技術を少しでもいいから見習ってほしいと思うのと同時に、日本の配達員の奮闘に心から感謝するのである。
日本の再配達率は改善はされつつあるものの一説には20%にもなると言われており、5軒に1軒の計算だ。ニューヨークのように荷物を放置して帰るのは問題外だが、受取人として、時間指定した日時には家にいるようにし、その日に荷物が来ることを意識するだけでも配達員の負担は大きく減り、日本の物流ももう少し滑らかになるのではないだろうか。
〈文・橋本愛喜〉