しかし、そういう「職人像」も、ここ十数年で大きく変貌を遂げた。これは父の工場に限ったことでない。日本にいる職人たちの高齢化に伴い、新人育成が急務である中、時代がスピードを求めてきているせいか、一人前になるまでに辛抱できず、途中で辞めてしまう見習いが増えてきたのだ。先に述べておくが、この原因は、辞める側だけでなく、雇う側、育成する側にもある。筆者本人が元工場経営者として強く思い、深く反省するところだ。
昨今、「10年経たないと一人前の職人になれないのは、効率が悪い」という風潮があるが、筆者が見てきた世界は、少なくともその「時間」は必要だと思うところだった。「辛抱」や「感性」は、効率化では得られず、職人の仕事は結局すべてこの2つでできていたりする。どれだけ辛抱すればいいのかを知るには、辛抱し続けるしかない。
が、その一方、時代の流れに合った職人教育をする必要も、育成側には出てくる。やみくもに「見て覚えろ」と言うのは、今の時代にはそぐわない。辛抱して、見て、覚えた先にあるものが、職人には必要不可欠な感性であることを伝えなければ、インターネットですぐ答えの出るスピード社会で育った現代の若者が、途中で挫折するのは当然のことなのだ。
ただ、ここで問題になるのは、育成するのが「堅物の職人」であること。彼らには、すでに踏み固められた「オレの道」がある。そんな両者が歩み寄り、技の伝達をスムーズにさせるために必要な存在こそが、経営陣だ。両者の間に入り、作業服に袖通し、彼らとともに卓球台で夜食を食べるくらいの距離感を持っていなければ、経営陣の存在意義は、工場内では無いに等しい。
現在筆者が住んでいるニューヨークには、物が溢れている。が、現地ではほとんど買い物をせず、一時帰国した際、来日外国人のごとく日本の製品を大量買いしていく。プラスチックのかご1つにしても、日本の100円ショップで買ったもののほうが断然質がいいからだ。たかが100円の商品であっても高品質なものを求め、その要求に応じるのは、日本人がもつ「仕事で妥協しない」という職人気質の賜物である。
そんな要求に応えられる技術とプライドのある職人が、今徐々に数を減らしている。日本のモノづくりを第一線で支える彼らを今後育成するには、「オレの道」を歩く新人のために、標識を立てていくことが、工場経営者の急務なのではないだろうか。
〈文・橋本愛喜〉