同校を卒業後、彼はアメリカに渡って、投資銀行に入ります。そしてヨーロッパ企業の動向を探って投資先を見つける、欧州株専門のアナリストとなった彼は徐々にその才能を開花させ始めます。
彼は投資先企業の株自体よりも、その企業が保有している他社の株式などに目をつけるという独自の分析法で、ドレスナー銀行、アリアンツ保険など有望で割安な投資先を次々と発掘し、大成功をおさめます。
しかし、1963年、ケネディ大統領が外国証券の取引に課税する法案を議会に提出すると、欧州株はその価値が急激に下がり、ソロス氏はアンフォールド&S・ブレイシュローダー社で閑職へと追いやられます。そして2年の間、自身の大好きな哲学の研究などをして過ごしたそうです。
そして、1965年、再びギアチェンジした彼はアメリカの証券について1から学ぶことを決意します。そして彼が行なったことは、各所から資金を調達し、16のモデル口座を作ることでした。
この16のモデル口座に対して、彼はそれぞれのユニットごとに自分が有望だと考えた株を買い付けて、ポートフォリオを作りました。これによって、さまざまな分野に投資してその投資リスクや成長率、収益率を比較するという「利益を出しながら学ぶ仕組み」を作ったという訳です。この16分割したユニットのうち4ユニットを使って陸運関連企業に投資し、再び成功をおさめることになります。
ジョージ・ソロス氏 photo by Harald Dettenborn CC BY 3.0
このモデル口座が大きな利益を生み出すことがわかった同社は口座を独立させて「ファースト・イーグル・ファンド」を設立します。これが後の伝説的ヘッジファンド「クォンタム・ファンド」の元になるのは言うまでもありません。これもまた
「学習」と「実利」のどちらも重視する、ジョージ・ソロス氏らしいエピソードです。