いかがだろうか。
稲田朋美に言わせると、「憲法を舐めるように勉強している牛乳瓶の底のメガネみたいなのかけた裁判官がいっぱいいる」ことは、揶揄の対象になるらしい。また、「今の憲法が正しいと信じている」ことは「憲法教という新興宗教」ということになるらしい。そして、会場で発生した笑いの渦が証明するように、稲田にとっても、そのスピーチを聞く生長の家原理主義者集団にとっても、「今の憲法が正しいと信じている」「憲法教という新興宗教」は、嘲笑の対象であるらしい。
稲田は生粋の改憲派だ。昭和憲法の正当性と正統性を疑う立場にいる。その点は自由だろう。憲法といえども(いや、憲法だからこそ)常に、批判的に検討されるべきであるし、その改正を訴えることも、当人たちの思想信条の自由の範疇に属することだ。ましてや当時の稲田は陣笠議員。閣僚でもない政治家が「憲法なんか変えちまえ」と言い放つことは、一定の範囲内で自由ではある。
しかし、
裁判官をはじめとする法曹家が憲法を学習し憲法の枠内で判断することを、「憲法を舐めるように勉強している牛乳瓶の底のメガネみたいなのかけた裁判官」と嘲笑することは、何人であっても許されないことだ。いかに自分が昭和憲法を否定しようとて、法曹家が現状の憲法の枠の範囲で判断を下すのは当然ではないか。それを否定するのならば、稲田が主張する「憲法改正」の後に生まれる「新しい憲法」を、誰が守るというのか。
この発言からわかるように、稲田は、完全に立憲主義のコンセプトを理解していない。
そしてこの奇怪かつ幼児的な立憲主義への無理解は、今に始まった事ではない。
稲田が生命の実相を愛読することも、生長の家原理主義者集団に属することも、「彼女個人の信仰心」という範疇であれば、何ら問題はない。そんなものは彼女の自由であるし、相手の思想信条や信仰心をあざ笑う態度は、「憲法教という新興宗教」なる珍妙な言葉を弄する愚劣な連中と変わらない。吾人はそういう態度から距離を取ろう。
しかし、稲田が陣笠議員時代から防衛大臣の要職に就任した現在に至るまで掲げ続けるこの珍妙な立憲主義への誤解と無理解は、やはり断固として糾弾されて然るべきものだ。そして、この立憲主義を愚弄し近代的法治主義を完全に否定する稚拙なロジックを掲げる人々が、言論界や政界に一定の影響力を及ぼしているのであれば、その人脈と思想の系譜は徹底的な批判的検証の対象となるべきものだろう。
この連載が立証してきた通り、稲田防衛大臣の憲法無視答弁と、朝日新聞がスクープした、国有地を破格の値段で購入した塚本幼稚園は決して無関係ではない(参照:
「学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か」朝日新聞)。彼女とあの幼稚園の存在こそが、この連載が追いかける「生長の家原理主義者集団」のネットワークの地表に現れた一角に他ならない。この連載は、引き続き彼らの動向を観察していく。ご期待願いたい。
<文/菅野完(Twitter ID:@
noiehoie)>
※菅野完氏の連載、「草の根保守の蠢動」が待望の書籍化。連載時原稿に加筆し、
『日本会議の研究』として扶桑社新書より発売中。また、週刊SPA!にて巻頭コラム「なんでこんなにアホなのか?」好評連載中