食糧難の時代、「ぜいたく品」と言われたイチゴの株を守りつづけた農家がいた

田中裕司

スイカ、イチゴ、メロンは「ぜいたく品」として栽培が制限された時代

イチゴ 長編アニメショーン映画『この世界の片隅に』(片渕須直監督作)が異例の大ヒットを続けている。劇場では、70年以上前の「あの時代」を懸命に生きた主人公・すずさんの「日常」に魅せられ、クスッと笑い、ときに涙腺をゆるめる観客が何人もみられた。

 楠公飯、ジャガイモの入ったお粥、大根の皮の入った卯の花、野草料理……。食糧事情が厳しさを増すなか、すずさんが工夫をこらした食事を苦心しながらも、楽しそうに準備する場面に筆者も心打たれた。

 映画では、何度かスイカが映し出される。当時、スイカは、イチゴやメロンなどと並んで「高級品」、憧れのフルーツだった。食糧不足が深刻化するなか、「ぜいたくは敵だ!」の風潮が強まる。すずさん同様、高級フルーツの栽培農家も自らの意志を貫きづらい受難の時代をむかえた。

 太平洋戦争開戦(1941年)の前年、国によって、米と麦、さらに白菜、大根など18種の重要野菜の増産が奨励された。その一方、スイカやイチゴなどは「不要不急の高級品」として作付け制限された。戦争が激しくなると、「制限令」は強化され、転作に応じない農家は「非国民」扱いされた。

川里宏さん

「栽培方法の本はたくさんあるけど、イチゴの文化史を扱った本はほとんどなかったので、ライフワークとして調べてきました」と宇都宮市内の自宅で語る川里宏さん

「イチゴは贅沢品として行政当局に目をつけられたようで、栃木県内の農家では、戦争中に父親が『イチゴの苗を抜いて麦を育てろ』と非難された話を聞きました。父親は悩んだ末、栽培を断念した。同じような話は神奈川県や静岡県の産地でもあったようです」

 こう話すのは、栃木県農業試験場OBの川里宏(かわさと・ひろし)さん(82歳)だ。川里さんは、初夏のフルーツだったイチゴをクリスマスに出荷できる新品種「女峰」の開発に携わった元研究員。イチゴの歴史にも興味を持ち、在職中から資料を集めはじめた。イチゴ農家や他県の農業技術者ら100人近くを取材、数百点に上る文献にも当たり、『草苺(いちご)の歴史』などを自費出版。イチゴの文化史研究の第一人者でもある。

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警察官が「イチゴ作りなんて遊びは許せん」

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希望のイチゴ

難題に挑む農家・野中慎吾の、試行錯誤の日々を描く

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