カジノが国会で議論される限り、パチンコはその引き合いに出され続ける。「パチンコはギャンブルである」と攻め立てられる。
端的に言えば、警察官僚は、その国会の場において、「パチンコは娯楽である」と言い続けたいのだ。長年に渡り警察官僚が作り続けてきた「建て前」を守り続けたいのだ。そのためには、一つでも多く、パチンコにおける「ギャンブル的な要素」を排除もしくは矮小化したいのである。
今回の「MAX機」の撤去は、そのような文脈の中での出来事。しかし「MAX機」が撤去されたからといって、「パチンコギャンブル論」が消える訳ではない。実際のところ、客の換金行為を完全に無くすか、仮にそれが「合法」であったとしても、1日の最大の勝ち金、負け金が1万円~2万円程度に収まらない限り、「パチンコはギャンブルである」という括りから解き放たれそうではないが。
来年は「IR設置法案」可決に向けた、賛成派と反対派の攻防が激化する。
その煽りを受けるのは、警察でもパチンコ店でも、メーカーでもない。お客さんである。
パチンコをやる、やらないは個人の自由であるが、やる人がパチンコを「娯楽」の範疇で留めるのか、「ギャンブル」の領域に踏み込むのかは個人の責任である。
<文・安達 夕>