【雇われない生き方】農業人口激減の中、前年比10%増の売り上げを課される農業機器営業マンの苦悩
ここ数十年、日本の農業人口は急激に減ってきた。1990年には480万人だったが、2008年には300万人に減り、2016年には192万人まで減った。前年比マイナス10%近くという、ものすごい下降線だ。それなのに、日本の農業関連企業の多くはいまだに“経済成長神話”のもと従業員を働かせている。
私は東京・池袋の片隅で小さなオーガニックバーを開いている。経済成長や効率ばかりが優先される世の中に疑問を持ち、「儲けすぎない」「働きすぎない」をモットーに、今は週4日のみ営業。休みの日は千葉県匝瑳市で米や大豆を自給している。大手企業を退職して今に至るまでの道のりや実践を綴った本を上梓したこともあり、働き方に悩む20代~40代の人々がたびたび店に訪れてくる。
ある日、農業機器製造メーカーで営業をしている30代男性、Aさんが来てくれた。彼は心を患って休職中だというが、見た目は色艶よくて健康そのものだ。素直で明るく爽やかで、病んでいるようにはまったく見えない。
「1年くらい前からうつ症状がひどくなり、将来に希望を抱けなくなりました。生きていても仕方ないなという思いが常にあり、急に死にたくなります。それで休職したんです。最初の2か月くらいは頭痛や倦怠感がひどく、家でずっと寝ていました。その後少し回復したので、地元に帰省し静養しました。
3か月ほど休んで回復してきたので、まもなく仕事に戻る予定だったのですが、重圧に押しつぶされて睡眠薬を大量に飲んでしまいました。そこで妻が両親を呼び、再び地元に帰ることになりました。肉体疲労は抜けていると思うのですが、気持ちの浮き沈みが激しく、自分でもよくわからないんです」(Aさん)
Aさんは大学を卒業後、現在の会社に就職。営業部に配属となる。生まれ育った地元を離れ、全国各地を転勤。大手農業機器メーカーの販売会社やJA農機具部門を通じてセールスに回る日々。販売店の営業マンと同行して売り込んだりもする。農機具などを売り込む営業だった。
「会社に与えられた年間売上目標は、常に前年比の10%アップでした。でも頑張りましたよ。年8600万円の売上目標を超えて、1億4000万円を売ったこともありました。しかし、年々売れなくなっていきました。主任になっても給料が上がるわけでもなく、拘束時間が増えるだけでした。
4、5月以外は残業と休日出勤はあたりまえで、残業は平均100時間ぐらい。稲刈りの時期は2か月ほど無休で、残業200時間を超えるのも当たり前でした。その時期は毎週のように販売店主催の展示会があり、土日はつぶれるんです。
展示会に出展しても契約をとれることは少ないのですが、販売店との付き合い、今後の売り上げを考えると出展しなくてはいけない。昔は展示会をやれば売れる時代があったそうですが、それを忘れられない人間がやっているだけで、無用の長物です」(同)
会社は時代に沿って、残業を減らす施策を進めてはいるようだが……。
「会社は残業代支払いの上限を年々減らしていきます。超過分は代休にするようにと言われているのですが、完全に消化するのは難しい。代休をとっても携帯電話を常に持たされるので、電話対応であまり休んだ気になれませんでした。便利が生み出した不便と感じています」(同)
彼はしまいに躁鬱が激しくなり、1日に3時間ほどしか眠れなくなった。あるとき心がプッツンと折れ、とうとう休職に至ったのだ。
売り上げ増に邁進していたある日、心が折れ休職へ
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