奇しくも、練習生時代の苦難が起業のアイデアに繋がった

akippa社長・金谷元気氏
「私自身決してうまいプレーヤーではなかった。ただ、どんな時も相手のミスだけは貪欲に狙っていた。下手だけど、点をとる。僕の現役時代はそんな選手でした」
高校時代には、大阪府の国体選抜候補にも選出される選手だった。高校3年次、当時J2のサガン鳥栖の練習生として招かれるが、プロ契約に至るまでの結果は残せなかった。
“サッカーで飯を食べていく”。金谷はそんな想いを捨てきれず、カテゴリーを落とし関西地域リーグに活躍の場を求める。当時は給料なしの契約で、実質アルバイトで生計を立てるしか術がなかった。
月の収入は6万円程度。そこでチームメイトのアルバイト探しに商店街の挨拶周りをしている際に、求人を求める数の多さに驚いたという。「これは儲かるのでは?」日常の中からふと得た着想は、後の起業の際に求人事業からスタートするキッカケとなる。
その他にも、花火大会の際に業務スーパーで格安で仕入れたジュースを路上販売するなど、食べるために、またサッカーを諦めないために知恵を絞った。

練習生時代の金谷氏。クラブを転々としたが、プロ契約は叶わなかった(前列中央)
そして、22歳のときJ2ザスパ草津に「これが最後のチャンス」との想いで練習生として挑戦する。だが、2か月後待っていたのは「契約なし」という非情な通知だった。