――ちなみに、レバレッジはどのくらいかけていたんですか?
山田:’10年の規制が入る前だったので、レバレッジ100倍でやっていました。証拠金5000万円にレバレッジ100倍だから、当時は50億円くらいのお金を動かしていたわけです。
――恐ろしい額ですね。大金を扱うことに恐怖心はありませんでしたか?
山田:それよりは幸福感のほうが強かったです。だって、50億円くらい持っていると、スワップ金利が1日10万円ぐらい入ってくるんですよ。1日10万円なにもしないで入ってくるなんて、まるで夢のようじゃないですか!
――途中までは絶好調だったわけですが、’07年7月にサブプライムローンの影響で、それまで円安傾向だった市場が一気に円高に傾いてしまうという。
山田:そうなんです。ちょっと前から雲行きは怪しいな……とは思っていたんですが、もう気づいたときには手遅れで、5000万円は全部パー。強制ロスカットされてました。せめて、自己資金の2000万円は抜いておけばよかったんですが、それもせず。今思えば、「どうせ本業以外で稼いだお金だから」という気の緩みもあったかもしれません。要はあぶく銭ですから。
――何か打つ手はなかったんですか。
山田:これはFXにおいての最大の敗因だと思うんですが、僕は本当に売るのが苦手な人間なんですよ。「怪しいな」と思った時点で、売って、早めに諦めておけばよかったんですけど。どうしても、それができなかったんです。
――5000万円を一気に失ってしまった、当時の心境はいかがでしたか。
山田:とても平静ではいられなかったです。茫然自失ですよ。世の中には災害とか事故とか自分ではどうにもならないことがありますが、投資で負けるっていうのはまた別のショックが大きいです。たとえば、僕は学生時代に阪神淡路大震災で自宅が全壊しているんですが、そのときはまだ「よし、これから頑張ろう」と前向きな気持ちになれたんですよ。でも、サブプライムローン問題でFXの資産5000万円を失ったときは、もうどうしようもなくて、ただただ立ち尽くすのみでしたね。
――もう忘れたい過去ですよね。
山田:いや、あまりにショック過ぎて、「なぜ失敗したのか」「いま自分がどれだけ悲しんでいるか」といった当時の経緯やその心境を何十枚という原稿に書き残していて、いまだに僕のパソコンに入ってますよ。この経験をいつか本に書いて、失った5000万円の元をとってやろうと思っていますけどね。
【1999年】新社会人になる直前に投資信託を始める
以前から興味のあった投資に挑戦すべく、まずは投資信託を購入。新卒で入った会社の「株価が下がった」ことを読み間違え、3か月で退社。その後、公認会計士試験に合格
【2000年】監査法人の会計士になったので、投資を中断する
監査法人という、いわば上場企業の内部情報を知る職場で働くことになったため、投資は一時中断。株やFXに対する興味は持ち続けたまま、仕事に邁進する日々を送る
【2005年】『さおだけ屋~』が大ヒット。株・FXを開始
監査法人を退職後、いよいよ投資を再開。大ベストセラーとなった『さおだけ屋~』の印税で得た数千万円の資金もあったため、以前から興味のあった株やFXに挑戦
【2006年】主にFXで数千万円の利益をあげる
100万円の元手で始めたFXだが、その後、順調に利益を上げて、数千万円ほどの利益をあげる。FXのおもしろさにハマり、徐々に資金をつぎ込んでいくことに
【2007年】サブプライムローン問題で大急落
突然のサブプライムローンで相場が一気に急落し、それまでつぎ込んだ自己資金2000万円と利益3000万円分の合計5000万円の証拠金を一気に失い、茫然自失に
【2008~2011年】すべて放置する
FXでは失敗し、株でも含み損が膨らみ、投資に対して少し恐怖心が芽生えてしまう。購入していた株はすべて塩漬けにしたまま、投資とは距離を置く日々を送る
【2012年】アベノミクスから投資を再開、現在に至る
アベノミクスで相場が活況を取り戻したのにあわせ、株を再開。現在は60銘柄ほど保持しているが、売却益は狙わず、配当金や優待を重視する長期保有するスタイルが定着
【山田真哉】
1976年、兵庫県神戸市生まれ。新卒で東進ハイスクールに入社し、軽率にも同社の株価低迷を理由に退社。その後、猛勉強の末、公認会計士試験に合格し、監査法人に勤務しながら『女子大生の事件簿』の執筆を開始する。2005年に出版した『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』は164万部のベストセラーに。出演する人気ラジオ番組『浅野真澄×山田真哉の週刊マネーランド』から生まれた投資入門本『
山田先生とマネー番組をはじめたら、株で300万円儲かった』が8月31日に発売
― 大ベストセラー『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』著者の山田真哉が激白! ―