太宰治が思い出を綴り、宮崎駿が着想を得た目黒雅叙園は戦前の大テーマパークだった

若干33歳で目黒雅叙園を任された大工の棟梁、酒井久五郎

 次に、非日常を演出した目黒雅叙園の主役とも言える建物について触れておきましょう。現代のビジネスに於いてもそうですが、トップがどれだけビジョナリーな目標を掲げても、それを形に出来るエンジニアが居なければビジネスは実現しません。そして、目黒雅叙園においてその役割を担ったのが、力蔵専属の大工の棟梁、酒井久五郎でした。  久五郎は、江戸城内御殿築造に携わるなど優れた大工や左官等の職人を輩出した静岡県土肥町小下田の出身で、目黒雅叙園を彩る螺鈿や彫刻、 日本画、銘木といった、訪れた人を竜宮城へと誘う、豪華絢爛な施設を見事に形にした人物です。しかし、何より驚くのは雅叙園の棟梁を任された時の年齢で、なんと33歳の若さです。力蔵のビジネスセンスも凄いですが、久五郎もまた天才的なエンジニアだったのでしょう。  力蔵は、連日数百人集まった職人達から1日5銭を天引きして久五郎に与え、久五郎はその金で職人や工芸家達と高級料亭へ足繁く通ったそうですが、おそらくそれは報酬や慰労ではなく、生きた本物を実際に見せて、雅叙園に取り込んでいく投資だったと思われます。そのことは久五郎が現場で常々口にしていた「俺達の仕事は博覧会の仕事じゃないんだぞ」という言葉からも伺われます。

『千と千尋の神隠し』のモデルに使われた「百段階段」

 その久五郎が37歳の時に手がけたのが『千と千尋の神隠し』のモデルとなった「百段階段」です。建てられた昭和初期は全国各地に高度で質の良い数寄屋建築が建てられていた時期であり「百段階段」はその中でも傑作の一つと言われています。  荒木十畝鏑木清方など、当時の日本を代表する作家が率いる画塾に部屋を一つずつ任せ、場合によっては女中と書生付きで数年にわたって完成させた7つの部屋「十畝の間」「漁樵の間」「草丘の間」「静水の間」「星光の間」「清方の間」「頂上の間」を、行人坂の傾斜に沿って配置、それを10~20段上がると部屋が右側にあるという具合に繋いでいるのが「百段階段」です。  ちなみに『千と千尋の神隠し』で具体的にモデルになったのは「漁樵の間」と「草丘の間」で、それぞれ宴会場や湯婆婆の部屋千尋が寝泊まりしていた女中部屋に使われています。
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元祖スーパー銭湯?豪華で大きな風呂と美味しい食事の組み合わせ
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