そしてまたこの「教え」は、昨今猖獗を極める「棄権するぐらいなら白票を」などと呼びかける輩が、いかに劣悪であるかもきっちりと指摘してくれている。
白票と棄権に何ら変わりはない。白票は集票所において無効票とカウントされ、「意志を表示しなかった票」として積み上げらるのみだ。それでも白票を呼びかける人々は、「投票率は上がる」と強弁する。だが厳密に言えば、投票率は「投票所に足を運んだ人」の集計(所謂「ターンアウト率」)だけでなく、有効投票数でも集計される(所謂「有効投票率」)。一票単位でシビアな戦いを繰り広げる候補者たちが気にするのは、この有効投票率だ。白票を呼びかける人たちが言う「候補者への影響」など、棄権と何ら変わりない。
そもそも「白票でもいいから投票を」という愚劣な呼びかけが横行するのは、「投票にあたっては、自分が積極的に支持する候補者の名前を書かなければならない」という思い込みがあるからだろう。しかしそんなことは決してないのだ。先の「教え」の通り、「支持する候補はいないけど、気に食わない候補はいる。そいつが通りそうだから、我慢できない。情勢報道でその候補の次点につけている候補に投票してやろう」という、消極的な投票行動だってできるのだ。
参院選まであと少し。「憲法を変える!」を旗印とするろくでなしと、「憲法を守る!」というろくでなしが、各地で接戦を繰り広げている。ことは改憲だ。イギリス国民のように最悪のチョイスをしてから、「てへぺろ」とは言えない。
落とすべきろくでなしをしっかり見極め、しっかり落としてやることが肝要だ。
<文/菅野完(Twitter ID:
@noiehoie)>
※菅野完氏の連載、「草の根保守の蠢動」が待望の書籍化。連載時原稿に加筆し、
『日本会議の研究』として扶桑社新書より発売中