「アベノミクス批判への反論」が自ら陥った「統計の詐術」 

 昨日ハーバービジネスオンラインにて「『アベノミクスは失敗』に反論。どうみても雇用は改善している」(https://hbol.jp/37370)なる記事が配信された。
労働者

photo by Chris 73(CC BY-SA 3.0)

 この記事の結論は、表題どおり「アベノミクスは雇用改善をもたらしていないという指摘があるが、それは事実に反する。雇用情勢は改善している」というものだ。  筆者はこの結論、すなわち「アベノミクスが雇用を改善したか否か」については、是非を判断するだけの材料を未だ持ち合わせていない。  なぜならば、「雇用情勢の改善/悪化」という定性的な結論を出すためには、労働力人口の増減や完全失業率の動向そして平均賃金の変動など、さまざまな定量的なデータを冷静に検討する必要があるからだ。筆者のような経済学の学位さえ持たぬ門外漢にはそのような作業は荷が重い。  しかし、いかに経済学の門外漢であろうと、一般的な高等教育を受け社会人経験がある人間であれば、「このレポートは、正しい手順を踏んで結論にいたっているかどうか?」の判断は、どの分野の話でも大体はつく。  その見地から、当該記事を検証してみたが、端的に申し上げて、「結論の前に手順がお話にならない」という代物と断ぜざるを得ない。  以下、当該記事の「手順」について、不備を指摘していく。

「かもしれない」と「だ」の無自覚な併用

 当該記事の構成は、 1).完全失業率は2009年1月以降、一貫して下方トレンドにある 2).しかし、労働力人口は民主党政権時代には減少しており、自民党政権時代には上昇に転じている 3).従って、完全失業率の分母たる労働力人口の増加傾向にもかかわらず、失業率が低下しているのは安倍政権の経済政策よろしきを得たからである というものだ。  完全失業率の分母たる労働力人口が増加するにもかかわらず、完全失業率の下方トレンドが維持されるということは、分子たる完全失業者数が少なくともそれ以前と同等か減少傾向である必要がある。つまり、「労働市場に参加する人数が増えたのにも関わらず、失業者数が以前と同等かそれ以下となっている」ことを示している。従って「就業している人が増えている」とは言える。  この辺りは、加減乗除の四則演算の話でしかなく、小学生でもわかる理由だろう。  しかしこれでわかることは、「就業している人が増えている」ということのみである。その「就業実態」がいかなるものかの検証がなければ、「雇用情勢は好転している」という結論を軽々とは導けないはずだ。増加した分の労働者が劣悪な雇用条件で就労しているならば、「改善」とは俄かに断ずるわけにゆかぬだろう。この点についての検証は山本氏の原稿の中ではなされていない。ただ、山本氏も「雇用増加幅の実態は非正規雇用である可能性」をみとめているようで、 “非正規雇用でも雇用は雇用です。アベノミクスによって、今まで無職だった人が新たに100万人も職を得ることができたのです。” と、言及している。アベノミクスの結果による100万人雇用増加は「非正規かもしれぬが喜べ」ということだ。  百歩譲って、「非正規でも増えたから評価する」と考えてみたとしても、山本氏の論考においては、2013年からの労働力人口の増大について、2013年に改正された高齢者雇用法により高齢者雇用の義務化が図られた側面を、一切考慮していない。 [参照:2013年の労働力人口増加の背景の分析記事]http://www.huffingtonpost.jp/sharescafe-online/abenomics_b_6222044.html  にもかかわらず、この断定口調だ。内容の検証さえなされぬまま、断定口調なのだから恐れ入る。  一方、山本氏は、民主党時代の労働力人口の減少について “民主党政権時に減少した完全失業者80万人のそのほとんどが「再就職を諦めた人」だったのかもしれません。”(太字部筆者)  と、言及している。  ここでは「かもしれません」と推測でしかないことを自ら認めてしまっている。  先述した、山本氏の「労働力人口の増加があるのに失業率下方トレンドが維持されているのは安倍政権の経済政策のよろしきを得たからだ」というロジックは、つきつめれば、「労働力人口の増減」こそメインイシューのはずだ。、氏はこのメインイシューを、何の材料もないのに、一方では「断定」し一方では「推測」で語る。  このようなダブルバインドの議論の進め方は、どのような数値をもとにするにせよ、まともな議論とはいえぬだろう。  どうやら氏は「なんでもかんでも安倍はダメという風潮にNOといいたい」ようだ。その考えには異論はない。しかし、このような議論の進め方であれば、山本氏こそ「なんでもかんでも安倍のおかげ」と言いたいとしか見えぬではないか。

アベノミクスを粉飾する統計のマジック

 山本氏の記事のなかでは、グラフが2つ使われている。一つは、「完全失業率の推移」グラフ。もう一つは、「労働力人口 完全失業者数の推移」グラフである。  上述のように、氏のいいたいことは、「労働力人口が増えたのに失業者数がへっているのだから、雇用情勢は好転している」ということだ。  であれば、わざわざ完全失業率のグラフを掲出する必要はない。単に、労働力人口の推移と完全失業者数を出せば、事は足る。  しかし山本氏はそうはしなかった。  なぜなら、できぬからだ。  まず、氏の掲出した「完全失業率」のグラフをみてみよう。

図は山本氏の記事より

 なるほど、このグラフをみれば、一目瞭然、完全失業率は一貫して下方トレンドにある。  文章の冒頭にこのグラフが掲出されれば、読者はみなこの下方トレンドの印象を強く抱くことになろう。  この下方トレンドの下向きの矢印を意識しながら読者は目を進ませる。その次に出てくるのが「労働力人口 完全失業者数の推移」グラフだ。  このグラフでは、完全失業者(率でない事に注意)の下方トレンドが再び示された上に、労働者人口の増加傾向が重ねわせられる。「このギャップをみろ!これだけ仕事がふえたぞ!」といいたいのであろう。

図は山本氏記事より

 しかしこのグラフは欺瞞だらけである。  賢明な読者ならお気づきであろうが、このグラフでは完全失業率は「率」から「数」にかわっている。まずこれが第1点目の欺瞞。  なぜ、前傾のグラフと率なら率、実数なら実数と揃える事をしなかったのか。率と実数を並べるというのは、「統計トリック」でよくある方法だ。「統計トリックを暴く」という山本氏自身が統計トリックを使っている。  第2点目の欺瞞は、このグラフそのもののY軸のおかしさだ。  労働力人口の刻みも失業者数刻みも20万人刻みになっているが、そもそもの始点が違う。労働力人口は6500万人から始まる20万人刻み。かたや失業者数は200万人からはじ まる20万人刻みだ。つまり氏は6500万の中での増減幅と200万の中での増減幅を並べ立てているのだ。これもしばしばあるトリックである 。おそらく「労働力人口の増減幅と完全失業者数の増減幅の同一性」を指摘するためにこのようなグラフをつくったのであろうが、その「同一性」なるものは、6500万と200万というあまりにも違いすぎるオーダーを無理に一つのグラフに押し込んでこそ初めて視認できる「同一性」であって、グラフの始点がまったく乖離している時点で、一切統計的価値がない。  当該記事は、「統計トリックを暴く」と嘯くが、統計トリックを使っているのはあきらかに山本氏である。  これほどまでに乖離のある指数を実数同士で比較して「増減があった!」などと騒ぐのは、児戯に等しいと断ぜざるを得ない。  ここまでオーダーの違う実数を比較するのは難しい。ゆえに「率」という概念があるのではないか。なぜ山本氏は冒頭に失業率推移のグラフを掲げておきながら、労働力人口増減率と完全失業率の推移を比べるという当たり前のことができないのか? おそらく、率で両指数を比較しても鮮やかな対比が観測できぬからであろう。つまり、山本氏は「アベノミクスのおかげである」という結論のため、データを我田引水的に操作しているのだ。  また、このような詐術めいたグラフを用意し、おそらく詐術のポイントであろうはずの「20万人きざみ」というところを、山本氏は、「労働力人口と完全失業者のスケールの幅をわざと200万人に揃えてありますが」と書いてしまっている。この間違いが山本氏によるものか編集部によるものか不明だが、いずれにしても杜撰である。

批判も賞賛も統計トリックは不要

 一般的なサラリーマンの基礎スキルとして、Y軸の数字を揃えないグラフや、率と実数を並べるなど、新入社員の段階で上司から徹底的に指導され矯正されるポイントだ。  こんな文書を筆者の部下が持ってきたら、赤ペンがこれ以上入らないまでに赤ペンを書き込んで突き返すだろう。また、出入りの営業マンがこんな文書で何かを売り込んできたら、当該営業マンの上司氏に電話をし、以降当該営業マンを出入り禁止にする旨を伝え、担当替えをお願いするレベルだ。  先述したように、アベノミクスで雇用が改善したかについては筆者としては結論を出すには至らない。なぜならば、「雇用情勢の改善/悪化」という定性的な結論を出すためには、労働力人口の増減や完全失業率の動向そして平均賃金の変動など、さまざまな定量的なデータを冷静に検討する必要があるからだ。  それゆえに、アベノミクスを擁護するにしても、批判するにしても、このような「一般的なサラリーマンでも指摘できる」稚拙なロジックによる主張が蔓延る風潮に深く憂慮の念を抱く。  また、このような児戯に等しい初歩的な詐術を編集段階でみぬけなかった、ハーバービジネスオンラインの編集部各位には、猛省を促したい。 <文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)>
すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(sugano.shop)も注目されている
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