「山本山」と「永谷園」の古い縁――江戸時代に遡る運命的出会いが老舗を育てた

上から読んでも下から読んでも山本山でお馴染み

「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」のCMでもお馴染み山本山は、海苔とお茶の販売で知られる老舗メーカーです。なお『味附海苔』を開発し、丸に梅の字の『まるうめ』ブランドで有名な山本海苔店と混同されがちですが、全くの別会社です。
山本山

山本山公式HP

 ちなみに山本山と山本海苔店に加えて、江戸一番の海苔商で日本初のビン詰め焼海苔『貯蔵(かこい)海苔』を開発した「山形屋海苔店」が「海苔の御三家」と呼ばれる海苔を扱う老舗ですが「海苔」「山本(形)」「日本橋(京橋)」と共通点が多く、なおさら混乱してしまいますね。  とはいえ、この3社の中で、山本海苔と山形屋は元々海苔を取り扱っていましたが、山本山が取り扱い始めたのは、戦後の1947年とだいぶ後発で、元々はお茶の会社でした。なので、今回はお茶を中心に山本山の歴史に触れてみたいと思います。

山本山を飛躍させた永谷園の先祖との運命的な出会い

 山本山の創業は元禄3年(1690年)初代の山本嘉兵衛が、山城国(京都府南部)宇治山本村から上京し、日本橋で和紙やお茶、茶器類等を扱う「鍵屋」を開業したことに始まります。なお「鍵屋」の屋号はその後「紙屋嘉兵衛」「都竜軒嘉兵衛」「山本屋嘉兵衛」「山本屋嘉兵衛商店」等、変わっていきますが「山本嘉兵衛」という名は、歴代の当主に受け継がれています(ちなみに、上記の山本海苔店の当主も代々「山本德治郎」です)。  こうしてスタートした山本山でしたが、4代目の山本嘉兵衛の時に、大きなチャンスが文字通り、訪れます。『山本家旧記』に記された記述にはこうあります。 「元文三年(1738年)秋、山城国綴喜湯屋谷の人永谷宗円なるもの、始めて梨蒸煎茶なるものを発明し、佳品若干斤を携え、江戸に来たり、試売を四世嘉兵衛に乞う。その品質の佳良にしてその味の美なるあたかも甘露の如しと。これを発売するや家声大いに揚り、八百八街到る処としてこれを愛喫せざるものなきに至れり。これ江戸市民が宇治茶を愛用せるの濫觴なりとす。」  この永谷宗円なる人物こそが、現在にも受け継がれている日本煎茶の基礎である「宇治製法」の発明者であり、永谷園の創業者・永谷嘉男の先祖である、永谷宗円でした。
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誰も求めなかった新商品のポテンシャルを見抜いた4代目の慧眼
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