安倍首相が推進する“白タク”構想で何が起こる?――弁護士の視点

 国家戦略特区に絡んだ話が最近何かと話題である。  タクシー 10月20日の国家戦略特区諮問会議で安倍晋三首相が「過疎地などで観光客の交通手段として、自家用自動車の活用を拡大する」と述べ、話題になっている。  自家用自動車の活用というと一般ドライバーと乗客の仲介を行う「自家用車タクシー」の「Uber」が思い浮かぶ。タクシー業界の規制の経緯と現状を見ながら、自家用車タクシー特区構想について考えてみたい。

タクシー事業規制の概要

 タクシー事業は、かつては免許制が敷かれ、参入・車両台数・運賃は行政の強い統制下にあった。しかし、こうした規制は日本特有の過剰な行政規制のひとつとして批判があがり、2002年の小泉政権下で法改正がなされた。タクシー事業は免許制から許可制へ、事業者の車両数の増減も届出のみで自由に変更可能となったのだ。いわゆる「タクシー規制緩和」である。  しかし、話はそう簡単に終わらない。  規制緩和による新規参入に事業者各社の増車もあり、全体の台数は伸びた。だが需要は伸びず、タクシーは全国的に供給過剰となっていった。本来、規制緩和は、需要と供給に基づく競争と淘汰により自然と適正な規模とサービスが実現されるという考え方に基いていたが、タクシー業界では、そうはならなかったのだ。  そこにはタクシー業界の事業構造が関係している。タクシー事業の原価の4分の3が人件費であり、ドライバーの賃金は歩合制がほとんどだ。つまり、事業者は不況になるほど増車を実行し、薄く広く利益を得ようとする。一方で、それは個々のドライバーからすると、長時間の過重労働に追い込まれることにほかならず、結果、輸送の安全性やサービスの質の低下が懸念されるようになったのだ。  この流れを受けて、2013年、議員立法により、いわゆるタクシー特措法とその関連法の改正が行われ、ふたたび、規制強化(特に「減車規制」)が図られることとなった。  この改正タクシー特措法は、「供給過剰地域」を「特定地域」、「供給過剰のおそれがある地域」を「準特定地域」に指定。「特定地域」は3年間、参入規制と強制的な減車が行われることになる。今年、仙台市、秋田市、新潟市、熊本市、川崎市、札幌市などを中心とした地域が指定された。今後、大阪、神戸、福岡なども特定地域に指定される予定となっている。(朝日新聞より)  タクシーは全国的に供給過剰であり、今後規制を強めて減車を推進していく。これが政府の既定方針なのだ。

ちぐはぐな首相提言とそれに対する反応

 ところが今回、安倍首相は自家用車タクシーを(限定的とはいえ)推進する――”増車”の提言を行った。小泉政権下での規制緩和→近年の減車規制強化から、もう一度の揺り返しとなるとちぐはぐな印象を受けざるを得ない。石井啓一国土交通相が10月25日の報道番組で、いちはやく首相提言に対する懸念を表明したようだが当然の話であろう。  では自家用車タクシー特区構想はどう解釈すべきか。そもそも”白タク解禁”は「国家戦略特区」という制度になじむものなのか。法的な観点から検討してみたい。

自家用車タクシー制度は国家戦略特区制度と整合するか

 そもそも今回の提言の舞台装置である「国家戦略特区」とは何か。国家戦略特別区域法第1条では「産業の国際競争力を強化するとともに、国際的な経済活動の拠点を形成する」ために、首相が国家戦略特区を指定して、「規制改革その他の施策を総合的かつ集中的に推進するために必要な事項を定め」る制度とされている。  首相官邸のホームページに掲げられた「基本方針」ではより直接的に表現されている。 「経済社会情勢の変化の中で民間が創意工夫を発揮する上での障害となってきているにもかかわらず永年にわたり改革ができていないような、いわゆる『岩盤規制」全般について速やかに具体的な検討を加え、国家戦略特区を活用して規制・制度改革の突破口を開く」。そして同特区での「成果を日本全体に行き渡らせていくことが重要」であるとされている。  要するに、「ある地域を定め、経済的な発展のために、その地域については他の地域と別のルールを適用させる」、という制度だ。  首相官邸の熱烈な旗振りで、国家戦略特区制度は推進されている。しかし、同制度が法的にどこまで許容されるかはまた別の問題だ。国家戦略特区に指定された地域は、他の地域とは異なるルールが適用されることになるが、その取り扱いが正当化されるのは、新ルールが、内容、性質、程度の点で合理的なものであり、地域格差も許容できる範囲にとどまる場合に限定される。  つまり、自家用車タクシー特区という枠組みでできることには限界があるのだ。これまでのタクシー事業規制は、第一に第2種運転免許制度、事業自動車登録制度(緑ナンバー)という大前提となる規制があり、次に参入規制、需給調整規制という2段階の規制があった。その狙いには「輸送の安全」及び「サービスの維持」(道路運送法第1条参照)があった。  今回の首相提言は、一見すると限定的とはいえこの2段階の規制すべてを取り払うものであり、タクシー規制の根幹を失わせる性質のものだ。特に2種免許と緑ナンバーの撤廃は、かつての「タクシー規制緩和」でも、ほとんど俎上にのぼらなかった類の議論である。  タクシー規制の本質は「輸送の安全」、つまり乗客の生命や身体の安全に直結するものだ。となると、この規制は簡単には撤廃できない。規制が「安全」に係るものである以上、「国家戦略特区」であるからといって「安全を軽視して良い」ということにはならず、たとえ国家戦略特区であっても自家用車タクシーの無制限活用は、合理的に考えて許容できるルールではないという結論になる可能性が高いのだ。

自家用車タクシー特区制度はどんな制度になる?

 現実的には自家用車タクシー特区が実現したとして、その地域や内容は限定的なものになる可能性が高い。  例えば、「地域」では、1.他のタクシー事業者の経営を圧迫しない過疎地であること。2.路線も定型的で運行の危険が少ない地域ということ。などの条件が考えられるだろう。最寄りの駅と交通の便の悪い観光地の間の行き来に限定するというような方向性だ。内容も、ドライバーに一定の研修や試験を課すことを前提とした登録制になる可能性もある。  首相提言も、過疎地の観光地を例示しているが、筆者としても、結局この枠組みを飛び越えるような制度は難しく、この程度・範囲で話が進んでいくのではないかと現時点では考えている。

さらにもう一つの可能性

 ここまでの話は、現実的ではあるが、限定的でつまらない見解であり、首相官邸がいうところの「岩盤規制」を打ち砕くものとは到底いえない。しかし、もし自家用車タクシー特区がかなり自由な内容であった場合はどうなるのか。その可能性についても考えてみたい。  まず、地域の限定がゆるかった場合、競合する既存の事業者からの強い反発は確実だろう。場合によってはタクシー会社が国に撤回と賠償を求める訴訟が起こされる可能性すらある。2種免許も緑ナンバーも不要ということになれば、資格要件の厳しい個人タクシーのドライバーは特に憤りは大きいだろう。  だが一方で、それは新しい枠組みによる壮大な社会実験となる。当然、新しいサービスも導入されるだろうし、ドライバー自身による新しい働き方も開発されるはずだ。潜在的なタクシー需要が掘り起こされ、タクシーの使い方も多様化する。Uberが世界中で問題を抱えながらも社会に提示している、新しい旅客自動車運送事業の世界が見えてくるかもしれない。  仮に全面的な規制が撤廃されても、「輸送の安全」と「サービスの維持」が実現されることが明らかとなれば、”白タク特区”がより広い地域へ(最終的には全国へ)広がっていくことを防ぐ論理的歯止めは、少なくとも建前上、存在しなくなる。その時、「輸送の安全」などという建前の後ろに隠れていた「タクシー業界の保護」の要否という本丸が可視化されるだろう。  近年、規制をめぐり大きく揺れ動いているタクシー業界。白タク特区が今後のタクシー業界をどのような姿に変貌させるのか。そして安全は本当に担保されるのか。今後も自家用車タクシー特区構想については注目をしていきたい。<文/高崎俊(弁護士)>