「日本会議」問題の本質を見誤らせる幼稚な議論――シリーズ【草の根保守の蠢動 第20回】

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 これまでの連載で、安倍政権及び安倍晋三個人の周辺を取り巻く、「生長の家政治運動」出身の人々を掘り当ててきた。  まず、「日本会議」が閣僚の8割以上を占めていること(連載初回)、そしてその「日本会議」は、「日本青年協議会」によって運営されていること(連載5回)、さらに、この「日本青年協議会」は、70年安保の頃に生まれた運動体であり、代表の椛島有三氏をはじめとし、今もって「生長の家学生運動」の闘志たちによって運営されていること(連載6回)を、連続してお伝えした。  さらに、連載13回からは、「安倍晋三の筆頭ブレーン」と呼ばれる伊藤哲夫と、彼が率いる「日本政策研究センター」についてお伝えし、前回、伊藤哲夫も「日本青年協議会」と同じく、生長の家政治運動の出身者であることを暴いた。  と、このように、本連載は、安倍政権の周りに集まる特殊な人々を追いかけるうちに、必然的に「30年前に滅んだはずの『生長の家政治運動』が安倍政権にもたらす影響」を暴くことに至った  しかし、この連載の目的は「宗教団体が安倍政権を支えているから安倍政権はダメだ」と指摘するところにはない。そのような安易で幼稚な議論に本連載は一切与しない。

「宗教の政治進出」は問題ではない

 今年2月の連載スタートから約8か月。この間、本連載以外にも、ようやく日本会議や安倍晋三周囲の「特殊な人々」についての報道が増えてきた。しかしそのほとんどはことさらに、「日本会議」そのものの巨大さを指摘し、宗教団体が蝟集(いしゅう)する様をセンセーショナルに伝えることに終始し、あたかも「謎のカルト集団が背後にうごめいている」という印象を読む者に与えてしまっており、強い違和感を覚えざるを得ない。  ここであえて指摘しておきたい。宗教団体が政治に関与することそのものは何ら問題ではないのだ。宗教団体であれ何らかの信仰者であれ、政治に関与することは当然の権利として保有している。しかも、「日本会議」は単一の宗教団体によって差配されているわけではない。  これまで本連載でも指摘してきたように、日本会議の特色は「多種雑多な宗教団体が蝟集している」ことにある。彼らが如何に奇矯な政治的主張を展開しつつ大規模な市民活動を行おうとも、「ある特定の信仰内容を周囲に押し付けようとしている」とは言い難い。そうした意味でも「日本会議」が政治に容喙することそのものに特段の問題性は見出し得ない。  この「宗教団体であろうとも、政治に参与する権利は当然ある」という前提は、民主主義社会において絶対に踏み外してはならぬ一線だ。  その点において、直近に出た日本会議に関する報道である、『週刊朝日』10月23日号の「第三次安倍政権支える宗教」という特集には極めて強い違和感を覚える。この記事の内容は、ほぼ本連載がお伝えしてきた、「日本会議に蝟集する各種宗教団体」の名前を羅列 し(※)、日本会議系以外の宗教団体(例えば、全日本仏教会や統一教会)などの名前を羅列しているというものだ。  日本会議に蝟集する宗教団体については本連載で既報通りであるし、日本会議系以外の宗教団体と自民党とのつながりは、80年代以降繰り返し(とうの『週刊朝日』でさえも!)報道されてきた「公然の事実」に属するものであり改めて記事化する必要性が考えられない。したがって、「宗教団体の名前の列挙」でしかない当該記事には殊更にセンセーショナリズムを煽る意図以外、考えられないのだ。  このようないたずらに扇情的な報道姿勢や論調とは、吾人は距離を取りたい。 ⇒【後編】「神道政治連盟本丸論」は現場を知らぬ妄言 ※当該記事の冒頭に用いられた「第三次安倍改造内閣と神道政治連盟・日本会議」という図表は、本連載が2月時点に発表した「第三次安倍内閣の各閣僚の議連参加状況」という図表と酷似していることを抗議の意味も込めて改めて指摘しておきたい。 <取材・文/菅野完(TwitterID:@noiehoie)>
日本会議の研究

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