仕事相手にぞんざいに扱われ、腹立たしく思ったときの対処法は?

 言葉の端々に失礼さがにじむ人がいる。無知なのか、それとも無神経なのか。両者の合わせ技という可能性もありそうだ。できれば、つきあわずに済ませたいが、仕事相手となればそうもいかない。悪気なく失礼な言動を重ねる相手にどう対処すればいいのか。
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写真はイメージです。

 今回は幕末の江戸を舞台に、若者たちの人生模様を描いた『幕末あどれさん』(松井今朝子著/幻冬舎時代小説文庫)から、対応策を探りたい。タイトルの“あどれさん”とは、フランス語で「若き者よ」の意。西洋式兵法を教えるために招かれたフランス人教官たちが、教え子である武士たちにこう呼びかけたことに由来する。

「悪心をまるっきり持ち合わせないというような者はいない」

“芝居に出てくるような悪党になりたい”という理由で武士にもかかわらず、芝居作家に弟子入りした主人公・宗八郎。周囲は呆れるやら、おびえるやら。しかし、師匠は“悪心”は誰にでもあるとし、“芝居が悪心を押さえ込む装置になる”と受け入れた。  人は誰しも、多少の“悪意”は持ち合わせている。重要なのは悪意の種を大きく育てないこと。お互い虫の居所が悪いときは無理にコミュニケーションをとらないのも、自衛策のひとつである。

「手の届かぬものに執着して、手を伸ばそうとする者を世間では馬鹿と申します」

 宗八郎は芝居小屋で働く若者・長吉に、読み書きを教えようと張り切るが、成果が出ない。焦り、戸惑う宗八郎に、ベテラン裏方の豊蔵は“人にはできることと、できないことがある”と諭す。 “できないこともある”と認めると、肩の力も抜け、自然と視野が広くなる。過剰なやる気や、ぶしつけな発言といったノイズに気をとられ、仕事が滞るのは本末転倒。“尊重されるべき”という思い込みを捨てれば、人間関係のわずらわしさも軽減される。

「おまいさんは、いつも先のことやうしろのことばかり観ていて、真実(ほん)の目の前のことにはさっぱりお留守だ」

 武士として生きるか否かで、思い悩む宗八郎。なじみの女郎は過去や将来にとらわれすぎだとハッパをかける。目の前の問題から目を背けているようでは「なにをやっても、つとまらない」というのだ。  気になって仕方がないことが、直視すべき問題とは限らない。例えば、“失礼かどうか”に気をとられ、優秀な仕事ぶりに気付かないケースもある。仕事上のつきあいなら、注視すべきは“やるべき仕事をやっているか”の一点に尽きるはずだ。  失礼な言動に対する感受性は人によって驚くほど異なる。不平不満は、本音の宝庫でもある。大らかなタイプは“スルー力”、敏感なタイプからは繊細さを学ぶことは、最適なコミュニケーションを実現するヒントになる。 <文/島影真奈美> ―【仕事に効く時代小説】『幕末あどれさん』(松井今朝子著/幻冬舎時代小説文庫)― <プロフィール> しまかげ・まなみ/フリーのライター&編集。モテ・非モテ問題から資産運用まで幅広いジャンルを手がける。共著に『オンナの[建前⇔本音]翻訳辞典』シリーズ(扶桑社)。『定年後の暮らしとお金の基礎知識2014』(扶桑社)『レベル別冷え退治バイブル』(同)ほか、多数の書籍・ムックを手がける。12歳で司馬遼太郎の『新選組血風録』『燃えよ剣』にハマリ、全作品を読破。以来、藤沢周平に山田風太郎、岡本綺堂、隆慶一郎、浅田次郎、山本一力、宮部みゆき、朝井まかて、和田竜と新旧時代小説を読みあさる。書籍や雑誌、マンガの月間消費量は150冊以上。マンガ大賞選考委員でもある。
幕末あどれさん

名もなき若者=あどれさんの青春と鬱屈を活写した傑作

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