羽生善治名人による“年を取っても大志を抱く”ための心得

羽生名人 年を取ると、誰もが“守りの人生”を送りがちだ。“不惑”という言葉があるように、ブレない生き方は決して悪いことではないだろう。しかし、社会に出たときに誰もが抱いた大志は、年を取ると抱けないものなのだろうか? 「現代での40代は、それほど大きな価値や意味を持っているとは思えません」  そう述べるのは、小社より『適応力』を上梓した羽生善治名人だ。19歳で初タイトルとなる竜王位を獲得し、今年、棋士30年目を迎え、名人戦防衛など、45歳になった今も将棋界で最強の名をほしいままにしている。 「平均寿命が80歳を超え、織田信長が好んだ幸若舞『敦盛』の一節“人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり”という時代とでは、隔世の感があります。年を取ると、大きなトラブルがない無難な方法を取りがちですが、本来ならばもっと“伸びしろ”があるのに、停滞している可能性があります。分別をわきまえ、こういった方法を取るのは、決して悪いことではありません。しかし、自分ができることとできないこと、得意なことと不得意なことを踏まえた上で志を抱くのが、分別をわきまえた行動なのではないかと思います」  知識も多いが、悩みも多いアラフォー世代。そんな世代が「いかに大志を抱けばいいか」、その心得を伝授する。

一時の評価に右往左往しない

 人生経験を積むと、周囲の評価を鑑み、自らの身の丈を知るようになる。しかし、正確な身の丈を知るためには「さまざまな角度からの“トライ・アンド・エラー”が必要だ」と、羽生名人は述べる。 「将棋の世界で今までにない手を“新手”といいます。しかし、新手を指してうまくいく確率は2、3割ぐらいです。それでも、新手を指さないと将棋の進歩・発展は止まってしまいます」  実際、公式戦で新手が指される裏では、たくさんの失敗したアイデアがある。しかし、そこから研究と対策が一気に加速するという。 「“振り飛車”という人気のある戦法があるのですが、玉を隅にして囲う“穴熊”という戦法が出てきてから、一気に分が悪くなりました。しかし研究が進み、ここ10年ぐらい“振り飛車”は、かなり盛り返してきています。つまり、この戦法は、身の丈を伸ばしたということです。一時の評価というのは、必ずしも当てにはなりません」  量子力学に多大な貢献をしたニールス・ボーアも「専門家とは非常に狭い分野で、ありとあらゆる失敗を重ねてきた人間のことである」と言っている。トライ・アンド・エラーを重ねずして、身の丈は計れないということだ。

負けることでツキと力を貯える

 とはいえ、失敗を受け入れるのは容易なことでない。諦められないこともあるだろうし、たとえ勝敗が見えていても粘りたい時もあるだろう。 「実は10代のときの私の将棋は、とても投了が遅かったのです。今見ると、呆れるくらい絶望的な局面でも差し続けていました。でも、あるとき、駄目なときはやはり駄目で、そのときは素直に負けを認めたほうがよいと思うようになりました。それから、意識的に投了を早めるようにしたのですが、負けたときでも、ある種の爽快感を感じるようになりました。これは例えば、赤字ばかり出していた事業から撤退をして、マイナスは出してしまったが、それ以上、傷を深めることがなくなったという安堵感にも似ているかもしれません」  負け戦を続けることは、大きな気力を必要とする。失敗を受け入れ、次の挑戦に向け、気持ちを切り替えることも大事なことなのだ。 「早く投了することは、ツキを充電するためという考えもあります。ちょっと解りづらい感覚かもしれませんが、負けること、負け続けることによって力を貯え続けるというケースです。ですから、不運が続いたとしても、嘆く必要はないのです」  年を取ると失敗を恐れ、ついつい挑戦することに臆病になるが、それが身の丈を縮めている可能性があることを忘れてはならない。経験から知識を身につけたときこそ、人は大きな志を抱けるのだ。そして、その実践こそが大人の分別というものなのだろう。 <文・写真/HBO編集部>
適応力

「不調の時期」をどう乗り越え、「変化の波」対応し、「未知の局面」に適応するか?