ペルー次期大統領に、日系三世ケイコ・フジモリがなる可能性が浮上

 4月19日の南米ペルーの主要紙『エル・コメルシオ』や『PRR』は『ペルーの大統領選挙が明日行なわるとしたら、ケイコ・フジモリ氏が勝利する』と報じた。 ※「エル・コメルシオ」http://elcomercio.pe/politica/actualidad/keiko-fujimori-ganaria-elecciones-presidenciales-segun-encuesta-ipsos-noticia-1805172 ※「PRR」http://www.rpp.com.pe/2015-04-19-ipsos-keiko-fujimori-ganaria-en-primera-vuelta-si-manana-fuesen-comicios-noticia_789021.html
ケイコ・フジモリ氏優勢を伝えるエル・コメルシオ紙

ケイコ・フジモリ氏優勢を伝えるエル・コメルシオ紙

 彼女はアルベルト・フジモリ元大統領の長女だ。2006年にペルーの国会議員として初当選している。現在、彼女は「フエルサ2011」党の党首でもある。  父親のアルベルト・フジモリ氏が日本で注目を集めたのは1996年12月に起きたトゥパク・アマルという革命運動組織のメンバーが首都リマの日本大使館に侵入し、大使、職員、訪問客らを人質として拘束した事件である。当日は天皇誕生日の祝賀会が催されていた時で、館邸には多くの人が集まっていた。人質の解放交渉に、日本政府も直接関与した関係で、特別機動部隊が人質の解放に向けて介入するまで、ひと月の時が経過していた。あの当時、大統領就任から既に6年が経過していたフジモリ大統領の人気は陰りを見せていたという。しかし、この事件で人質を全員無事に解放させたということで、一時的に彼の人気は回復した。そして、日本での彼への注目度は最高潮に達した。  しかし、それから4年が経過した2000年。さまざまな腐敗疑惑が生じ始めるとペルー国会内で反フジモリ勢力が力を強めることになり、結果、フジモリ大統領はブルネイで開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)への参加のあと、日本に亡命した。2007年の日本での参議院選挙にも国民新党から立候補したが、落選したことを覚えている人もいるだろう。  その後、同年9月に、大統領在任中に自らの権力の強化の為に行なったセルフ・クーデターなど、複数の容疑で現在ペルーで収監されている。  確かに、フジモリ政権にはさまざま暗部があった。しかし、最初の就任期間中は、前政権のガルシア大統領の時に落ち込んでいた経済を彼は立て直したのは事実である。それまでの慢性的な高いインフレを、ガルシア政権時代には無視していたIMFの指導に従い、財政支出の緊縮や外国からの投資などを積極的に推進して経済を回復させたのだ。そのため、日本ではその功績がやや誇張されてはいるものの、決して人気が低いわけではない。  そのフジモリ元大統領の娘であるケイコ・フジモリは、当初フジモリ大統領の娘ということで、最初の選挙に臨んだ時から高い知名度を有した。父親が失脚したあとも、彼女は依然として、ペルーの中流層や貧困層の間で高い人気を維持している。今回、上述紙にて公表された世論調査では、<フジモリ氏の支持率は32%で、2位のトレド政権時には首相を歴任したクチンスキー氏の14%を大きく引き離している>と報じられている。また同紙は、<仮に大統領1次選挙でフリモリ氏が過半数を獲得出来ないとしても、2次選挙で43%の支持を獲得し、クチンスキー氏は32%に留まる>と予測している(※ちなみにフジモリ氏は2011年の大統領ではウマラ現大統領と決戦投票になり、敗れている)。 ⇒【後編】「ケイコ・フジモリ大統領」が登場したら、日本の対中南米外交戦略にも影響が(http://hbol.jp/35711)に続く <取材・文/白石和幸>
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身
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