極めて醜悪な「令和の公共事業」の正体<著述家・菅野完>

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karubi/PIXTA(ピクスタ)

ブラジルのストリートに見る、ある人物の栄枯盛衰

 ブラジルのバウル市に、Rua Tomegiro Sugano=菅野留次郎通りという通りがあるらしい。らしい、というのも現地で実際に道路標識を見たわけでもなく、地図と資料でその存在を確認しただけだからだが、地図の上ではその存在を確かに確認できる。  この道路の名前に冠された菅野留次郎とは、私の義理の大叔父(祖父の姉の夫)のこと。長く奈良県天理市の市議会議員を務め、昭和三十年代の後半には議長を務めてもいる。ブラジルの街に彼の名前を冠した道路があるのは、バウル市と天理市が姉妹都市の協定を結ぶにあたり、彼の功績が大だったからだという。  大叔父に関してはこの他にも、「田中角栄から電話がかかってきた」だの「田舎の市議会議員なのにも関わらず、東京に行くと、閣僚が下にも置かない扱いをした」だの、彼の権勢を示すさまざまなエピソードを聞いたことがある。奈良の片隅の小さな町の市議会議員でしかない彼が権勢を誇れたのは、単純な構造だ。彼自身も、後年みな揃いも揃って市議会議員や県議会議員になる彼の息子たちも、それぞれ土建業を営んでおり、公共事業の利権構造に食い込んでいたからに他ならない。公共事業の予算で商売をする土建屋の社長本人が、公共事業の予算配分に携わる議会の議員をやっているのだから、本業の土建業が儲からないわけはない。逆もまた然り。本業の浮沈がかかっているのだから、議会運営は予算の分捕り合いで文字通り生きるか死ぬかを賭けた真剣勝負にならざるを得ない。  私はそういう環境で育った。菅野留次郎は私の生まれる直前に亡くなっているが、それぞれ市議会議員や県議会議員になった彼の息子たちが、現場で重機を動かし事務所で設計図を見ながら議論をし、議会があれば市役所や県庁にすっ飛んでいくという姿を、子供の頃に見ながら育っている。

「清和会専横」の原因

 冒頭から私事で恐縮だが、今しばらく、お付き合いいただきたい。  菅野留次郎とその息子たちは、あるいは市議会議員としてあるいは県議会議員としてそれぞれの地歩を固め、一地方都市の公共事業利権に深く食い込み、平成の初めの頃には、富と権力を誇るようになっていた。しかし、その地方権力はまたたく間に瓦解し、彼らは没落することになる。バブルの崩壊が原因ではない。彼らの地方コンチェルンが瓦解し、彼らが没落し去ったのは、小泉内閣の登場によるところが大きい。公共事業がなくなったのだ。政府支出で商売をしていたのだから、政府支出が止まれば商売は萎む。極めて単純な理屈で彼らは見るも無惨に没落した。留次郎ファミリーが築き上げた様々な企業体は、なに一つ残っていない。ほとんど全て倒産・廃業の憂き目にあっている。かくて彼らは地方政治から姿を消した。留次郎ファミリーの権勢を物語るものは、今や、冒頭に掲げたブラジルの小さな街のストリートネームだけだ。  おそらくここ30年、これと同じような物語が日本全国のあちこちで展開されたはずである。私の生まれ故郷である奈良の草深い田舎だけでなく、北は北海道から南は沖縄まで、全国津々浦々に同じような物語が埋もれているはずだ。そして同時にこれは、自民党の権力基盤の変遷の物語でもある。小泉内閣以前の自民党とは全国各地の菅野留次郎的な人々をその権力基盤の根底としていた。国会議員が公共事業の形で東京からカネを持ち帰り、地方議員がそのカネを分配することで、自民党の権力は維持されていた。しかし、平成の30年にわたり断続的に行われた行政改革・政治改革の結果、こうした権力構造は瓦解した。今や、ふんだくるにせよ分配するにせよ、土建公共事業そのものの予算はない。あったとしてもそれはもはや中央省庁と地方自治体の間で直接的に処理され、政治が容喙できる余地は少ない。  小泉純一郎は、自民党党内政局における宿敵ともいうべき田中派=竹下派を葬り去るために、この流れに棹を差した。「自民党をぶっ潰す」という彼の政治姿勢は、こうした公共事業の分配を背景とした田中派=竹下派的な権力基盤の否定に他ならない。そして小泉はそれに成功し、その成功が現在の自民党における「清和会専横」の最大の原因となっている。
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なぜ「令和の公共事業」は腐りきったのか?
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月刊日本2021年5月号

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