(Photo by Zach D Roberts/NurPhoto via Getty Images)
―― アフリカ系アメリカ人(いわゆる黒人)の差別問題がアメリカを揺さぶっています。これは今回の大統領選挙にも少なからず影響を与えました。小川さんはアメリカ南北戦争史を学ぶ日本人の集い、「全日本南北戦争フォーラム」の事務局長を務め、12月に『南北戦争-アメリカを二つに裂いた内戦』(中央公論新社)が12月21日に発売予定ですが、アメリカはかつて黒人奴隷をめぐって内戦まで行っています。今後も人種差別はアメリカ最大の課題であり続けると思います。
小川寛大氏の新刊『南北戦争 アメリカを二つに裂いた内戦』(中央公論社)
小川寛大氏(以下、小川): アメリカの人種差別は非常に根深い問題です。ただし、昨今ではトランプ大統領が人種差別をあおったことで、「アメリカが分断された」と言われていますが、これは若干不正確な表現です。「アメリカが分断された」という言い方の背後には「アメリカは統一された国である」ということが含意されているわけですが、アメリカは建国当初から黒人差別をはじめとしたさまざまな人種問題を抱えており、これはトランプ大統領が登場したから発生した問題ではありません。アメリカは建国以来、国家を統一する理念や思想を持てたことがないのです。それは南北戦争勃発の過程を見れば明らかです。
南北戦争のきっかけは、1860年の大統領選挙で、奴隷制反対を掲げる共和党のエイブラハム・リンカーンが当選したことです。これに反発する南部諸州が合衆国から脱退し、翌61年に戦争が勃発しました。
共和党は当時、北部を基盤とする新興政党で、奴隷制反対をワン・イシューのように掲げていました。北部は寒冷な気候風土を持つ地域で、自営農民や商工業が中心となっており、黒人奴隷を必要とする産業が存在しませんでした。南北戦争が始まって南部に攻め込むまで、黒人を見たことがない市民もいたほどです。
北部が奴隷制廃止を強く訴えた背景には、宗教が関係しています。北部には清教徒やクエーカーなど、当時のイギリスで迫害されていた宗教の信者たちが入植し、つくった社会でした。彼らは自らの信仰生活を貫ける新天地を求め、アメリカに渡ったのです。他の植民者たちが寒冷で厳しい気候の前に挫折していく中、彼らは信仰心を武器に粘り強く生活を続け、その地に根づいていきました。
彼らの信仰心をさらに盛り上げたのが、19世紀前半に起こった第二次大覚醒運動でした。大覚醒運動はキリスト教の信仰をより深めようとする運動で、信仰復興運動とも称されています。建国以来、アメリカでたびたび起こってきたムーブメントです。この大覚醒運動をきっかけに、より道徳的に生きようとする人々が登場しました。彼らが奴隷制廃止運動に合流したことで、奴隷反対派は宗教じみた熱狂を帯びていったのです。
他方、南部は温暖湿潤で、農業にきわめて適した土地でした。そのため、高値で売れる商品作物を効率的に大量生産すべく、大規模な奴隷制プランテーションが次々に築かれていきました。この地域に入植し、根づいていった人々とは、イギリス国王の信任を得てアメリカに渡った貴族やその関係者たちです。バージニアやカロライナ、ジョージアなど、南部にイギリス君主に由来する名前の州がたくさんあるのはそのためです。彼らは貴族のように専制的な支配を行っていました。その結果、南部は同時代人たちから「非人間なことで悪名高い西インド諸島の引き写しのような奴隷制国家」とまで呼ばれる社会になってしまいました。
このように、アメリカは地域ごとにまったく異なる性格を有しています。アメリカ独立革命は、当時の大英帝国に対抗するために生まれた同床異夢のムーブメントで、「合衆国」という枠組みも、きわめてゆるい盟約に過ぎません。一つの国家として考えることが、歴史的に見てもそもそも間違いなのです。
―― 今回のアメリカ大統領選挙の最中、南北戦争の南軍司令官だったリー将軍の像を撤去する方針が発表され、話題になりました。リー将軍はリベラル派からは黒人差別の象徴とされる一方、南部では英雄視され、神話化されています。アメリカでは過去にもリー将軍の銅像をめぐって衝突が起きています。
小川:アメリカには南部に関して、次のような言い方をする人たちがいます。「南部では慈愛にあふれた白人の農園主が黒人奴隷たちを優しく保護し、面倒を見ており、黒人奴隷たちも主人を慕っていた。そこで産出された綿花は南部に大きな富をもたらしていた。南部は誰からも文句の出ない理想郷だった。ところが、北部の奴隷解放論者たちが南部の実情も知らずに南部批判を始め、ついには軍隊を差し向けてきた。南部の人々は自らの領土を守るために奮闘したが、物量に押し切られて負けてしまった」。現在でもこうした考えは根強く残っています。
彼らがその象徴として祭り上げているのがリー将軍です。リー将軍は穏健かつ高潔で、郷土への忠誠心と伝統を守るために戦った英雄とされています。
確かにリーは温和で決断力に富んだ軍人として、周囲から尊敬を集めていました。しかし、当時の南部の白人たちの間では一般的な認識でしたが、彼は白人と黒人が平等だとは考えておらず、自分が所有していた黒人奴隷にひどい仕打ちを行ってもいました。また、南北戦争後に学長に就任した大学で、学生たちが人種差別的な運動をしていたにもかかわらず、それを止めようともしませんでした。しかし
リーは「南部の正義」を信じる人々によって特に南北戦争後、実態以上に美化されていき、黒人差別を正当化する偶像のようにまでなって、現在に至っているのです。
そもそも「南部は北部の横暴によって打ち倒された」といったように、あたかも「南部」という確固としたものが存在するかのように語ること自体、歴史的に見て誤りです。南部の政府や軍は南北戦争中も統率がとれておらず、常に内部崩壊しかねない緊張関係にありました。また、当時の南部の人口は900〜1000万人ほどで、そのうち奴隷を所有する裕福な人たちは30万人程度だったと言われています。その他は黒人奴隷と、貧しい白人たち、現在で言うところのプアホワイトです。つまり、黒人と白人の間だけでなく、白人間にも明確な階層が存在したのです。
南部が一体感を獲得したのは、むしろ南北戦争が終わってからです。南北戦争では南部のプアホワイトたちが兵士として動員されましたが、彼らは戦争によって土地や家を焼き払われ、さらに貧しくなりました。いったい自分たちは何のために戦ったのか、あの戦争の大義はどこにあったのか――。こうした屈折した感情を癒すため、人々は神話を求めました。それがリー将軍の聖人化をもたらし、南部の一体化につながっていったのです。
このことは黒人差別にも影響を与えています。アメリカの黒人差別は、実は奴隷制を打倒した南北戦争後にむしろ強化されたとの説があります。確かに
KKK(クー・クラックス・クラン)などの人種差別を根底とする暴力組織が登場したのは、南北戦争が終わってからです。今日のアメリカ社会を揺るがす黒人差別は、南北戦争抜きには語れないのです。