高度成長期を裏で支えた昭和のヤクザを描く『無頼』。井筒和幸監督インタビュー

無頼

(C)2020「無頼」製作委員会/チッチオフィルム

 敗戦直後の動乱期からバブル崩壊後の平成期までを1人のヤクザの人生を通して描いた井筒和幸監督作品『無頼』が全国で公開中です。  物語の始まりは1956年の夏。主人公の井藤正治(松本利夫)は、2歳のときに母親が事故死。父親に甲斐性はなく、極貧生活を強いられ、幼いころから働くことを余儀なくされていた。  その8年後、正治はカツアゲで送られた鑑別所を出て、やがてヤクザ社会に身を投じる。立ち上げた一家、井藤組には元暴走族、落ちこぼれ、全共闘くずれが集う“家族”のような絆があった。裏社会を這い上がり、正治は刑務所入りと出所を繰り返しながら、ヤクザの頂点を目指し、地元で繰り返される抗争の中で敵を倒し、縄張りを広げていく。  力道山が活躍したテレビの黎明期から所得倍増計画を掲げた池田内閣、高度成長期、政治の季節、オイルショック、数々の疑獄事件、カネと株が乱れ飛ぶバブル期の崩壊、そして暴力団対策法施行によってヤクザが世間の隅に追いやられるまでを駆け抜けた一人のヤクザが見た昭和史とは――  今回は8年ぶりにメガホンを取り「和製ゴッドファーザー」を意識して本作の制作に臨んだという井筒和幸監督に、物語の着想や劇中のエピソード作り、そして当時の時代背景などについてお話を聞きました。

ヤクザにも掟がある

――「無頼な生き方を貫いた男たちがいた」ということを現代の若者たちに見せ、「くじけるな、寄る辺なき世界を生き抜けと励ましてあげたい」という思いがあったとのことでした。 井筒:井藤はヤクザですが、どんな局面でも逃げずに真っ直ぐに生きています。「励ましたい」というよりも、反面教師でもいいので「自分の生き方と比べてみたら」という感じでしたね。「自分はここまで無謀なことはできないけど、何かやってみてもいい」あるいは「何のために生きてるんだろう」とか思ってもらえたらいい。
井筒和幸監督

井筒和幸監督

 いい友達、兄弟分はいるのか、義理だけで付き合うのではなく信頼できる人間はいるのか、女性とちゃんと接しているのか、とか。色々考えるきっかけになればいいなと。  ヤクザはある意味欲望の赴くまま生きているので、自分の欲望と世間の常識や道理を天秤にかけることを試されます。そこで「自分がどう生きるか」を自問自答してもがいてるんですね。そんな姿を感じ取ってもらいたかったんです。 ――「泥棒はしない」「薬はやらない」「他人の女は盗らない」が主人公の井藤率いる井藤組の掟となっています。 井筒:地方のあるヤクザの手記から引用しました。とても素敵な三原則だと思います。ヤクザ社会の中で泥棒をするというのは最低です。情けないことでしょ。仲間内で泥棒し合ってどうするんだと。  ヤクザは一般社会から様々な理由であぶれた人たちの集団です。金と権力が物を言う資本主義社会は必ず下層の周縁社会、つまり吹き溜まりを生みますが、そこでまた社会を作ったのがヤクザ社会なんです。一般社会から疎まれたり差別されたりする社会の中で泥棒をするというのは何事だと。堅気(一般人)が大金持ちになって家族で這い上がっていくのは勝手です。マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』の主人公は最後に「私は泥棒してでも二度と飢えはしない」と言いますが、そういう気概はいい。ただ、身内で泥棒し合うなって。

安易なシノギには手を出さない

――2番目は「薬はやらない」ですね。 井筒:当たり前のことです。薬の密売は一番安易なシノギ(収入を得る手段)ですよ。何グラムかを取引するだけで半年食べれるぐらいお金が入ってくる。人をめちゃくちゃにしておいて放ったらかしです。それで儲けるのはヤクザでも下の下です。儲けが出るから流通して、同時に廃人も生み出し続けてます。
無頼

(C)2020「無頼」製作委員会/チッチオフィルム

 フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』(‘72)でもドン(ヴィトー)・コルレオーネがタッタリア一派から「あんたのところに分け前をあげるから、政治家に手を回してくれないか」と、薬の密売を持ち掛けてくる。その時にボスが「コルレオーネ家は薬をやらない。政治家に口をきかない」と言うと、ヒットマンが来てドンが襲撃されて抗争になる。昭和のヤクザも似たような矜持があって、そんなものに手を出さないという不文律があったね。井藤組は薬はやらないし、取引もしない。 ――3番目の「他人の女は盗らない」についてはいかがでしょうか。 井筒:男を張って生きているのに、女の取り合いなんかするな、ということです。我慢しろという戒めですね。
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脱法行為の背後にあるもの
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