大辞典の編纂に貢献したのは殺人犯だった。映画『博士と狂人』で描かれる友情の物語

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 10月16日より『博士と狂人』が公開されている。本作は、殺人者が世界最高峰の大辞典の編纂に貢献していたという、驚きの実話を映画化した作品だ。  ものものしいタイトルや見た目のイメージとは裏腹に、実は万人が楽しめる要素も備えた優れた作品であった。その具体的な魅力を紹介しよう。

『舟を編む』を連想させる辞書編纂のプロジェクト

 物語の舞台は19世紀のロンドン。独学で言語学博士となったマレーは、オックスフォード大学で辞典の編纂の計画に取り掛かるが、それはシェイクスピアの時代まで遡ってすべての言葉を収録するという無謀とも言えるものだった。作業が難航を極めたため、一般人からの協力者を求めたところ、1人の人物が大量の資料を送ってくる。そのマイナーという男は、殺人の罪を背負っており、しかも心を病み、精神病院に収監されていた。
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 物語の根幹にあるのは、英語の“用例”を印刷物や記録から徹底的に集めるというプロジェクト。辞書編纂に関わる者たちの奮闘を描いた作品であることから、映画化やアニメ化もされた三浦しをんによる小説『舟を編む』を連想する方も多いだろう。言葉にまつわるトリビアが提示されたり、無理難題に立ち向かう過程も含めて、エンターテインメントとして楽しめる土台が構築されているのだ。  とは言え、大英帝国の威信をかけた一大事業に犯罪者、それも殺人者が協力しているということは、客観的にみれば大問題である。こうした実際の作業におけるトラブルではなく、外部的な重く苦しい事情のために、プロジェクトが暗礁に乗り上げるというのは、今の世の中でも十分にあること。過去の特殊な出来事を描いているようで、実は現代に通ずる普遍的な物語とも言える。

対照的な2人が友情を育む物語

 大辞典の編纂という国家的なプロジェクトと並行して描かれるのが、殺人者であるマイナーという男の内面だ。
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 マイナーは自分を殺しに来る男がいるという被害妄想をエスカレートさせた結果、見知らぬ男を誤って射殺し、妄想・幻覚・思考障害といった症状を持つ統合失調症と診断される。実は、彼は元々アメリカ有数の名家の出で、イエール大学を卒業し、南北戦争に軍医として出征したエリートだったのだが、戦場での残酷な体験がその心を蝕んでいたのだ。  一方で、言語学博士のマレーは貧しい家に生まれ進学を断念したものの、独学で数多くの学問を習得し、10代ですでに博識で、周りからの反発を受けるも自分の力で望んだ仕事を手に入れることに成功している。出自は裕福であったにも関わらず、殺人者になるという運命を辿ったマイナーとは、正反対とも言える人生を歩んでいるのだ。  学士号を持たない叩き上げの博士のマレーと、残酷な戦争の体験のために心の闇に飲み込まれたマイナー。対照的に見える2人だが、言葉への情熱やその知識、もっと言えば“オタク”であるということは共通だ。そんな彼らにいつしか友情が芽え、固い絆で結ばれていくことが、本作の最大の魅力と言っていいだろう。
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 白眉となるのは、彼らがついに顔を合わせる瞬間だ。その時のマレーの表情には、マイナーが殺人者であるという不安や戸惑いはないように見える。離れた場所であっても文通を繰り返し、共に仕事をしてきた親友として、彼を迎えようとしているのだから。その友情が真に迫ったものとして感じられるのは、名優メル・ギブソンとショーン・ペンの熱演があってこそ、というのは言うまでもない。
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夫を殺された妻が抱いてしまう感情
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