
金日成総合大学3号校舎7階からの風景(筆者撮影)
北朝鮮の学術界にも席巻する「Publish or Perish」
 新自由主義時代の学者たちはあらゆる圧力を受けている。高級ジャーナルを通じて出版できなければ学者としてのキャリアも失敗するというプレッシャーが強まるほど、学内ではSSCI(Social Science Citation Index。社会科学領域の主要な学術誌の論文をデータベース化したもの)のような社会科学引用指数を取り沙汰するようになった。
 しかし「グローバル化」を「帝国主義者の謀略」とみる北朝鮮の大学でSSCIが言及された際には、私は驚きを感じた。ある日、少し付き合いのある先生は私にこう言った。
先生:アレック先生……オーストラリアではどの言語を使うのですか? フランス語でしょう?
私:いいえ。私たちはもともと英国の植民地で、英連邦国のため英語を話します。私はフランス語は話せません。
先生:ああ、そうですか。でも、私と一緒にフランス語文法についてSSCI学術誌で共著論文を掲載しませんか?
私:(慌てながら)先生、私は小説文学を専攻していて、言語学のバックグラウンドがありません。私も出来る限り調べてみますが、お力になれることがおそらくありません。
 その後、私が調べたところによると、金日成総合大学のある科学研究者がSSCIジャーナルに論文を掲載した後、大学当局は大学全体にSSCIジャーナルに寄稿するよう指示したのだ。
 当時、ある学者がSSCI誌に寄稿したという内容が校庭の掲示板に貼り出され、教員たちはSSCIについて言及するようになった。「Publish or Perish」(出版しなければ消滅する)という現象は北朝鮮の大学までをも征服したのだ。
 私の知る、比較的正直な同宿生(金日成総合大学の寄宿舎に住む現地人学生)は私にこう言ったことがある。
 「朝鮮文学史は最も退屈な授業だ。我が朝鮮の学生たちは大体、その授業は寝てるのさ」。
 私もその授業を受けた時、朝鮮の学生と同じくその授業を嫌うようになった。
 先生が講義室に入ってきて2時間、大袈裟な口ぶりと声で党と首領様の「輝ける業績」と「眩しい文芸政策」を一方的に講義し、ディスカッションや質問をする時間をくれずに去ってしまう。
 授業は断代史で行われたが、私は1945~50年(8.15祖国解放から「祖国解放戦争(朝鮮戦争)」の開戦まで)の部分をよく覚えている。
 その時代には李箕永(イ・キヨン)といったKAPF(朝鮮プロレタリア芸術家同盟)系列の作家たちが「大地」といった古典文学を書くのが活発だった。しかし授業で先に説明されるのは、彼らの文学活動ではない。最も重要な文学上の成果は、金正日が幼稚園で書いた詩であった。
 その詩は「私の偉大な祖国」といった陳腐なタイトルだったが、私の個人的な見解ではそれほど繊細な詩ではなかった。しかし私がその授業で唯一の学生であったため(※編集部注 マンツーマン形式のため)、惜しくも居眠りは許されなかった。