店で仮眠、時給420円の日々。元クラブ店長が明かすブラック職場の実態

取材に応えてくれた男性

取材に応じてくれた蓮尾健士さん(仮名)

 華やかなエンタメ業界は「夢に満ちあふれる仕事」と見られることもしばしばあり、そんな世界に憧れて上京してくる若者も少なくありません。蓮尾健士さん(仮名・29歳)もそんな中のひとりで、音楽の世界に憧れて山陰地方の田舎から25歳の時に上京してきました。

強制的に店長に

 知人づてにアルバイトとして入ったのは、都内にある某ライブハウス。大変ながらも音楽に毎日触れ、充実した日々を過ごしていました。働きはじめてしばらくした頃、同じ会社が経営する、小さなクラブの店長をやらないかと社長から声がかかりました。  しかし蓮尾さんは「そのクラブ、過去に何人も店長が飛んでるのを知ってましたし、いい噂を聞かなかったんで、『無理です』って言ったんですね」と一度は断ったのだそうです。しかし社長は「店にいるだけで、売り上げは気にしなくていいから」と、半ば強制的に蓮尾さんを店長にしてしまいます。  そうして店長になった蓮尾さんは、あることに気がつきました。「ライブハウスのころは時給で働いていたんですけど、気づいたら固定給に変わっていたんですよ」と、本人に確認もなしで、わずか14万円の固定給に変えられていたのです。店長になり拘束時間が伸びるタイミングで、時給から固定給への勝手な切り替え。  さらに、社長からもうひとつ、あることを強要されたのです。「お金もなかったので浅草に2万円の家を借りていたんですが、クラブに近い都心に住むように言われました」。住宅補助もないままに、引っ越しをさせられ、家賃は7万円に跳ね上がりました。給料の半分が家賃という苦しい生活が始まります。

クラブ店長としての日々

 「勤務はだいたい、昼の12時から終電までとなっていたんですが、お店が終電までなので終電ではなかなか帰れませんでしたね。週末はイベントが翌朝まであって、店で仮眠してまた働くっていう感じでした」。忙しい年末は5日間くらい家に帰れないこともあり「時給に換算してみたら、たった420円だったので辛かったですね」と話してくれました。  平日はワンオペでの営業。バーカウンターにはお金もあるので、営業中はトイレにも行けません。基本は週6日勤務。イベントのブッキングも任せられていたので、勤務外の時間も多くの人に出演依頼の連絡をとりプライベートな時間は皆無だったと言います。  さらに、はじめは「売り上げは気にしなくていい」と言われていたにも関わらず、売り上げが低いと社長は怒鳴り散らし、手元にあるものを投げつけられることも。「そうなると、売り上げが低い日は自腹でそれを補填するようになってましたね。ノルマがあるわけではないんですが、ものすごい圧をかけられるので」と蓮尾さん。
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保険証もなく病院にも行けない
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