「志」だけではダメなのか? 統計不正追及で注目を集めた小川淳也議員の17年間を追った『なぜ君は総理大臣になれないのか』大島新監督に聞く <映画を通して「社会」を切り取る19>

©ネツゲン

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 ただ社会を良くしたい。その一心で当選から17年間、ひたむきに走り続けた政治家の姿を記録したドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』が、現在、ポレポレ東中野などの劇場で公開されています。  衆議院議員・小川淳也、49歳。2019年の国会で統計不正を質し、SNSで「統計王子」「こんな政治家がいたのか」と注目を集めた。  大島新監督が小川議員と初めて出会ったのは、2003年10月10日、衆議院解散の日。地元香川県の名門・高松高校からストレートで東大法学部へ進学、自治省(現総務省)に入省するも官僚組織の限界を感じ、民主党から初出馬を決意。当時32歳だった。「国民のためという思いなら誰にも負けない自信がある」と真っすぐに語る無私な姿勢に惹かれ、大島監督は撮影を開始した。  地盤・看板・カバンなしで挑戦した初の選挙戦は敗退するも、2005年には初当選、2009年に政権交代を果たすと「日本の政治は変わります。自分たちが変えます」と目を輝かせた。  しかし、2012年に下野してから、政権交代のチャンスはなく、2017年の総選挙では、希望の党への合流を決断した前原誠司の最側近として決断を迫られることに。希望の党の小池百合子代表への不信感から無所属での出馬を検討するも、前原や地元の盟友・玉木雄一郎への仁義というジレンマの中、小川議員の苦悩は続く。背水の陣の選挙戦に彼はどのように挑んだのか。  そして、17年間、小川議員を見続けた監督・大島新の目に映ったのは、日本政治の希望か絶望か――  今回は、同作の監督であり、毎日放送『情熱大陸』などのテレビドキュメンタリーの制作を手掛ける傍ら『園子温という生きもの』(監督)、『ぼけますから、よろしくお願いします。』(プロデューサー)など映画製作も手掛ける大島新さんに、本作の背景や小川議員の選挙戦を取材する中で感じたことなどについてお話を聞きました。

なぜ志の高い人が報われないのか

――初出馬した2003年から不定期に撮影を行い、2016年の食事会の席で「映画にしたい」との突きあがるような思いを抱いたということでした。なぜ、撮影開始から13年経ってそのように感じたのでしょうか。その理由についてお聞かせください。 大島:小川議員は2005年に比例区で初当選後、2009年に当時の民主党が政権を取り、彼自身も選挙区で当選しますが、民主党の政権運営が未熟で、鳩山(由紀夫)、菅(直人)、野田(佳彦)政権はそれぞれ1年弱から1年半ぐらいでそう長くは続きませんでした。
大島新監督

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 そして、2012年12月に再び自民党に政権が移って安倍政権が誕生しますが、2014年には『日本改革原案 2050年 成熟国家への道』(光文社)という政策をまとめた本を書き、再び民主党が力を蓄えて政権奪還をするという意気込みがあったんですね。  ところが、会食をした2016年当時は、安倍政権誕生から3年半が経過していました。しかも、2016年になると「魔の2回生問題」と称されるように、自民党が大勝した2012年の選挙で当選した同党の議員が次々と不祥事を起こすんです。 ――確かに、2016年は議員の秘書への暴言、暴行や不倫報道などによって議員辞職が相次いで報じられていましたね。 大島:そうです。でも、一向に安倍政権の支持率は下がらなかった。政権奪還の兆しが全く見えなかったんですね。その会食の席には保守派の政治ジャーナリストの田崎史郎さんも同席していて、余裕綽々で勝ち誇ったように野党を批判していました。  それでこの人をもう一度撮影してみたいと思うようになったんです。小川議員は志も高く、無私の人。官僚出身で政策も良く勉強しています。にもかかわらず、なぜ上手くいかないのかと。なぜこのような人が魔の2回生のような不祥事を起こす議員たちよりも報われないところにいるのかという疑問がありました。映画として発表する時期は決めていませんでしたが、記録として残しておくべきだと思うようになったんです。
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――その頃は初当選してから既に10年以上が経過していましたが、党の中で重要ポジションが与えられるということはなかったのでしょうか。 大島:二世議員か否かなど、その人の持っている背景にもよるかと思いますが、10年では厳しいかもしれませんね。  ただ、小川議員は2003年に立候補する時に、私にはっきりと「総理大臣になりたい」と言ったんです。その地位に就きたいというのではなく、自分が政治家になるからにはトップリーダーになって舵取りをしたいという意味でした。  ”日本の政治土壌では難しいかもしれないが、40代でトップに立って、いい仕事をして50代前半でスパッと辞めたい”と言っていたんですね。小川議員は当時45歳でした。出馬時の計画では既に総理大臣になっていなくてはならなかったんです。それで「この先どうするの?」という話はしていましたね。

「国家」より「国民」が大事

――新人候補はサポート体制のしっかりした自民党から出馬した方が当選しやすいと言われています。官僚出身の小川議員は自民党から出馬する選択肢もあったかと思いますが、なぜ民進党を選んだのでしょうか。 大島:他に選択肢はなかったと思いますね。というのも、自治省での経験から小川議員は政権交代がない国は良くないと常々言っていました。  小川議員の政治的なスタンスは「何でも反対」というものではありません。政権運営にはガバナンスが大切であるということも良く分かっています。政治記者などの間では自民党のハト派議員でもいいのではないかと言われていますね。保守政党とリベラル政党の政策の8割は同じでいいという主張です。  ただ、彼は保守政党とリベラル政党の違いは「国家」のためか「国民」のためかという違いにあると思っています。ある政策が矛盾した時に「国家」の側を取るのが保守政党で「国民」の側を取るのがリベラル政党。そうであるならば自分はリベラル政党から出馬したいと。  そこには自分が庶民の子でそして地方出身者であるという強いこだわりがあるんですね。東大法学部卒業後自治省の官僚になり、ピカピカのエリートに見えますが、常に国民の側に立ちたいという気持ちがあったんです。 ――選挙で苦労するとは分かっていても、国民の側にいたいという気持ちがあったんですね。 大島:そうですね。香川県で連続当選をしている自民党の平井卓也議員は四国新聞のオーナーの一族です。そこに民主党から立候補すれば、苦労するのは分かっていたのですが、強いメディアを持つ人が議員になるということに対する反発もあったようですね。この映画でも描かれますが、やはり記事はどうしてもオーナー候補者寄りの論調になりがちです。
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