alfataro / PIXTA(ピクスタ)
電電公社、郵政、国鉄、そして水道……。80年代の中曽根内閣以来、「民営化」という言葉は、まるでなにもかも解決する素晴らしい魔法のコトバのように取り沙汰されてきた。しかし、果たして本当にそうだろうか?
本来、公共サービスとは、国民の生命、安全と直結しており、効率だけで行われるべきものではない。経済学者の宇沢弘文が喝破したように、それらは「社会的共通資本」であり、市場原理に委ねるべきものではない。
中曽根政権時代に実行された国鉄民営化では、国鉄が保有していた土地が払い下げるなど、一部企業にだけ利益をもたらす他、住民がいるにも関わらず不採算路線として切り捨てるようなことが罷り通った。小泉政権が推進した郵政民営化は、国民の資産である郵政マネーをアメリカに売り渡し、郵便遅配・誤配の増加だけでなく、かんぽの不正営業などの弊害をもたらした。
これらのデメリットは当然、安倍政権が断行した水道民営化十分起こり得るものだとして当初から指摘されてきた。
3月21日発売の日本の自立と再生を目指す闘う言論誌
『月刊日本 4月号』では、こうした民営化と規制改革の美辞麗句のもとに構築された利権構造にメスを入れ、その弊害について改めて考えるべく、第2特集として「民営化とは私物化するということだ」という特集記事が組まれている。
今回は同特集から、ノンフィクション作家の安田浩一氏による国鉄民営化についての論考を転載、紹介したい。
―― 安田さんは著書『JRのレールが危ない』(金曜日)で、国鉄分割民営化がもたらした弊害を明らかにしています。
安田浩一(以下、安田):国鉄分割民営化を進めたのは
自民党です。その際、彼らは国民の支持を得るため、北海道新聞をはじめとするブロック紙や一部全国紙に「国鉄が…あなたの鉄道になります」という広告を掲載しました。ここには「会社間をまたがっても乗りかえもなく、不便になりません。運賃も高くなりません」、「ブルートレインなど長距離列車もなくなりません」、「ローカル線(特定地方交通線以外)もなくなりません」といったことが書かれていました。
しかし、端的に言って、
これらはすべて嘘でした。現在では会社間の相互乗り入れは減ってきていますし、ローカル線を維持することも難しくなっています。
特に深刻なのが
JR北海道です。JR北海道は赤字続きで、自社単独では現有路線の半分も維持できないという状況になっています。その他の地方も同様です。私は地方出張のたびに痛感しますが、地方では無人駅がどんどん増えており、小さな駅ではみどりの窓口を廃止するのが当たり前になっています。
民営化の過程で大幅な人員削減が行われたことも問題です。国鉄時代には「レールセンター」という部署があり、保線作業員たちがレールの破断などを歩いてチェックしていました。しかし、
現在のJRには保線作業員は一人もいません。保線作業はすべてパートナー会社や協力会社に丸投げしています。そのため、JRという組織の中で保線の技術が継承されなくなってしまっています。
どのような理屈をつけようとも、
民営化の目的はコスト削減です。儲かる部門は存続させ、儲からない部門は切り捨てる。それが民営化の内実です。しかし、利益を優先すれば、安全性が犠牲になるのは避けられません。
実際、
民営化後のJRでは大きな事故が何度も起こっています。最大の事故は、
2005年に起こったJR西日本の尼崎脱線事故です。乗客と運転士合わせて107名が亡くなる凄惨な事故でした。この事故は民営化の弊害を象徴するものでした。JR西日本は人員削減を行う一方で、利益を最大化するため、運転手たちに効率的な運転を求めていました。効率的な運転とは、要するに列車のスピードアップです。それが結果として大惨事をもたらしたのです。
JR西日本では
尼崎脱線事故から一年もたたないうちに再び死傷事故が起こっています。伯備線の根雨―武庫間の線路上で保線担当者4名が列車にはねられ、そのうち3名が亡くなったのです。この事故は、きちんと見張り員を配置しておけば防ぐことができました。しかし、人員削減のため、見張りを立てる余裕さえなくなっていたのです。まさに民営化がもたらした事故だったと言えます。