マーケティング発ではない物づくりを。『さよならテレビ』の東海テレビ・阿武野勝彦Pと圡方宏史監督に聞く<映画を通して「社会」を切り取る6>

 戸塚ヨットスクール校長・戸塚宏氏を描いた『平成ジレンマ』、オウム主任弁護人安田好弘氏を追った『死刑弁護人』、10回にわたる再審請求がなされた名張毒ぶどう酒事件を描いた『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』『眠る村』を送り出し、近年では『ヤクザと憲法』『人生フルーツ』などのヒットを飛ばす東海テレビドキュメンタリー劇場シリーズ。
(C)東海テレビ放送

(C)東海テレビ放送

 いよいよ1月2日、自身のテレビ業界にカメラを向けた『さよならテレビ』がポレポレ東中野、名古屋シネマテークを皮切りに全国各地の劇場で公開となります。『ヤクザと憲法』に続くタッグを組んだ同作の阿武野勝彦プロデューサーと圡方宏史監督に記者への思い、ヒット作『ヤクザと憲法』や『人生フルーツ』の制作秘話、そしてこれからの番組作りなどについてお話を聞きました。

記者に対するリスペクト

阿武野勝彦プロデューサーと圡方宏史監督

阿武野勝彦プロデューサー(左)と圡方宏史監督(右)

 ――現場で丁寧な取材を続けるベテラン記者の契約社員の澤村(慎太郎)さんは、報道ディレクターである圡方さんにはどのように映るのでしょうか? 圡方:少なからず自分よりは問題意識を持っていて、相当いろんなこと考えていますよね。もちろん、取材の企画もたくさん温めていました。  経済紙の記者だったのでテレビの世界に自信がないようですが…。「言うだけ番長にならないようにしないと」と本人も言っていましたが、新聞、テレビ媒体などの違いは、情熱があれば関係ないと思うので、もっと行動すればいいのにというもどかしさもあります。後半で「(圡方監督に)焚き付けられた」というシーンがありましたが、半分は作品のために、そしてもう半分は彼のために背中を押したところがあります。 ――なるほど。 圡方:記者の人ってすごいですよね。調査をして報道する、積み重ねていく姿勢が自分のような番組ディレクターとは違うと感じています。僕は情報番組やバラエティーを作る制作部にいたので、予め設計図があってそれに向かって塗り絵をしていくように番組を作っていく癖がついているんですね。設計図から逆算してそれに合わせてパーツを集めていくという感じです。  澤村さんが「(番組が)成立する」ということに対して、違和感を覚えると言っていますが、あれが記者の感覚なんでしょうね。報道の現場にああいう姿勢の人は必要だと思います。すごく非効率的なんだけれども、あのスタイルの報道が予算の都合などで削られていってしまうのは残念です。

テーマを決めずに撮り始める

――ポレポレ東中野での過去作上映は連日満員でした。例えば、『平成ジレンマ』『刑事弁護人』『人生フルーツ』も主人公を通してその後ろにあるテーマについて描いていますが、圡方さんが担当された前作『ヤクザと憲法』は無名の若いヤクザや山口組の顧問弁護士を通して、ヤクザの幸福追求権と公共の福祉の関係、そして人権とは何かについて問うています。主人公とテーマの組み合わせはどのようにして設定しているのでしょうか?
圡方宏史監督

圡方宏史監督

圡方:最初からその組み合わせを決めてしまうと面白いものにならないんですね。そういうことをしないので、東海テレビはいろんなディレクターの豊かな作品が出来て来たのだと思います。最初から決め打ちはせずに「この人面白い」「興味ある」と思ったり、「言葉にできない魅力がある」と感じた時に取材を開始するんです。  もちろんその人の物語だけでは終わりません。カメラを回し始めてスタッフと話しながら撮っていきます。「ヤクザ、司法、人権なのかなぁ」みたいな感じですね。最初からテーマは決めません。自分たちも本当に面白いと思えるのは逆算していないからだと思います。取材をしていると、まるで自分が視聴者になったように想像を越えて来ることがたくさんあるんです。作品作りはそれをソフトランディングさせる作業ですね。

『ヤクザと憲法』は警察官の一言がきっかけ

――何がきっかけでヤクザが登場する映画を作ることになったのでしょうか? 圡方:「ヤクザの業界が今悲惨らしいよ」と言う話を警察の人に聞いたんですね。「ヤクザと人権」のもっと手前のところです。警察の人たちが彼らの困窮ぶりに同情していたんです。それは強くて怖くてお金を持っているという自分の持っていたイメージとは随分違いました。 ――当時、山口組の顧問弁護士だった元弁護士の山之内幸夫さんにはどのような経緯で焦点が当たることになったのでしょうか? 圡方:ヤクザと接点のある一般人がいなくて悩んでいたところ、阿武野からヤクザについている弁護士はどうかと勧められました。カメラマンの中根(芳樹)が「せっかくなら山口組の顧問弁護士にしよう」と言い出し、行くことになりました。僕は、怖くて嫌だったのですが(笑)  ――作品の終盤は、山之内さんの弁護士人生の最後を描くライフストーリーにもなっていましたね。 圡方:長時間追いかけていたからできたことでしたよね。もちろん、逮捕されたことも事務所を訪ねるまで知りませんでした。期せずして弁護士バッジを外さざるを得なくなるところまでを追うことができたんです。 ――タイトルはどのようにして決めたのでしょうか? 圡方:難しいことは考えていないです。「ヤクザと憲法」はプロデューサーが「閃いた!」と。 ――では老夫婦の豊かな生活の営みを描いた『人生フルーツ』は、なぜあのご夫婦を? 阿武野:日本住宅整備公団の設計士、大学教授を経て自給自足の半農生活を送っていた津端修一さんについての中日新聞の小さな記事を見たディレクターの伏原(健之)が「この人に会ってみたいんです」と思ったんですね。その時は、戦後70年の特集番組としての企画だったのですが、津端さんの90年の人生の中に戦後70年がすっぽり入っていました。津端さんの人生を振り返ることで戦後の日本が描けるのではないかと。そんなぼんやりした企画でしたね。
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事件が記者を育てる
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