時代と社会の変革を求めたヒップホップやオルタナティブ・ロック<戦うアルバム40選・’90年代編>
時代や社会と真っ向から戦ってきた政治的かつ社会的な主張を行ってきた歴史的な作品を紹介する連載「戦うアルバム」。4回目の今回は’80年代から’90年代にかけて、インディペンデントなところから時代の変革を求め、やがてそれが世のメインストリームの主張へと大逆転を起こした、オルタナティヴ・ロックやヒップホップの時代の「戦うアルバム」10枚を紹介する。
『Document』REM(1987)
’80年代にアメリカ南部の小さな学生街からインディ・シーンのリーダーとなり、90s突入後の「アンダーグラウンドがオーヴァーグラウンド」に完全に転化したアメリカン・カルチャーにおける大御所存在にまで成長したR.E.M.。シーンにおける自身の存在感が大きくなればなるほど、政治や社会に対しての発言も大きくなっていったR.E.M.だが、本作はそんな彼らがインディで最後に発表したアルバムであり、同時に明確な政治的主張を始めた作品。
「誤った労働倫理がアメリカの間違いの元」と歌う「Finest Worksong」や、’50年代の冷戦時代に「赤狩り」の陰で暗躍した上院議員を批判した「Exhuming McCarthy」なども光るが、最大の聴きものであり、その後のUSロックのアンセムとなったのは、政治腐敗や戦争、航空機事故や人口爆発など当時の社会問題を攻撃し徹底的に皮肉った「It’s The End Of The World (As We Know It)」だ。
『It Takes A Nation Millions To Hold Us Back』Public Enemy(1988)
1970年代末に生まれて以来、「ストリートにおける俺の存在感」を示すものだったラップに、’60年代末から70s前半のソウル・ミュージックが持っていた怒りと誇りを蘇生させ注ぎ込んだ存在こそパブリック・エネミーだった。
「俺たちが黒すぎるだと」(「Bring The Noise」)、「俺たちを批判するメディアなんて信じるな」(「Don’t Believe The Hype」)と黒人への偏見を隠さない当時の世に、「攻撃なら止めないぜ」(「Rebel Without A Pause」)と、稀代のMCチャックDとフレイヴァー・フレイヴがブレインのプロフェッサー・グリフの政治思想に基づいた言葉を煽り、ボム・スクワッドに寄る細かいサウンド・コラージュで攻めたサウンドはヒップホップを別次元に高めた。彼らは同じ時代を戦ったスパイク・リーの映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』で「ファイト・ザ・パワー」と歌い、時代の代弁者へと躍り出た。
『Straight Outta Compton』N.W.A(1989)
1980年代末、ニューヨークでヒップホップが音楽的かつ技術的に多様な発展を遂げている頃、西海岸ではまだヒップホップ・カルチャーそものは始まったばかりで、後進性は否めなかった。だが、ロサンゼルス郊外のコンプトン出身の血気盛んな5人組「N.W.A」には、情熱と日常の憤りに関しては東海岸の誰にも負けてはいなかった。
「ギャングスタ・ラップの元祖」と呼ばれた彼らはモラルの欠如を批判された。だが、黒人に対する警察官の横暴と偏見に「Fuck The Police」と楯突いたのを始め、文字どおり「自分たちを素直に表現する」(「Express Yourself」)ことをやめなかったその姿勢こそ、ヒップホップが「黒人にとってのパンク」に本当になった瞬間だった。アイス・キューブ、ドクター・ドレー。イージーE。ウェストサイド・ヒップホップの立役者3人が唯一揃い踏みした伝説の一作としても見逃せない渾身のデビュー作だ。
『Repeater』Fugazi(1990)
1980年代のアメリカのアンダーグラウンドで台頭したハードコア・パンクのシーン。その中のワシントンDCのカリスマ・バンド、マイナー・スレットが発展して生まれたフガジは、価値観が大きく逆転した時代においてもインディにこだわり続け、孤高のポジションを築き上げた存在となった。
その「アンチ・エスタブリッシュメント」は、パンクの鋭角さを残したまま、ファンキーなリズムと曲展開を複雑に発展させた音楽面でも然りだが、歌詞においても貫かれており、ワシントンDCでの銃撃事件を題材としたタイトル曲をはじめとして、自身のツアーTシャツさえ作らなかったほどの伝説の反商業主義に貫かれた視点からの「Merchandise」、発泡スチロールが生む環境破壊を描いた「Styrofoam」に至るまで、現代社会が抱える問題点を鋭くえぐり続けた。
猛威を振るうラップの嵐
警察組織を大胆に批判
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