born1993 / PIXTA(ピクスタ)
9月の末に、ポケベルのサービス終了のニュースが流れてきた(参照:
ITmedia NEWS)。いつ始まったサービスなのかと思い調べてみると、サービス開始は
1968年の7月だった。実に50年以上続いていたことになる。そんなに長く続いていたのかと驚いた。
ポケベルは、ポケットベルを略したものだ。ポケットに入るサイズの、小型の携帯用無線呼び出し機の商標名だ。NTTなどがサービスしている無線呼出し方式の愛称であり、この方式に用いる超小型の携帯用呼出し受信機を指す(参照:
コトバンク)。
多くの人が知っているのは、名刺入れのような形の機器に、小型の液晶画面が付いているものだろう。「無線呼び出し」の名前から分かるように、情報を受けるだけの単方向のサービスである。呼び出されたあと、細かなやり取りをしたい場合は、別途他の通信手段を利用する必要がある。
サービス開始当初の契約数は
4751件。2年8ヶ月後の
1971年3月末時点の申し込み数は3万9090件、契約数は1万3672件。需要があり急速に普及していった。ビジネス目的で、外回りの社員を呼び出す用途でポケベルは使われていた(参照:
ITmedia エンタープライズ)。
その後、加入件数は順調に伸び、
1987年10月に各社が参入する頃には350万件に達する。そして、
1996年の最盛期には1000万件を越え、その後、携帯電話の普及に伴い衰退期を迎える。
こうしたポケベルの歴史を、少し見ていこう。
最初の無線呼び出しサービスは、
1958年にアメリカのベルシステムが、オハイオ州コロンバスで「ベルボーイ」という名称で開始した(一般名は pager)。この頃はデジタル方式ではなく、トーン方式だった(参照:
移動通信端末・携帯電話技術発展の系統化調査)。
日本でのサービスは、1968年に150MHz帯のトーン方式で、日本電電公社が東京23区を対象に始めた。契約数は予想を上回る勢いで伸び、すぐに帯域が満杯になる。そして1974年に280MHz帯を加え、1978年にはデジタル方式が導入された。
トーン方式は充電式で、電池寿命が15時間程度だったが、デジタル方式は単3形乾電池1個で3ヶ月使用できるようになり、利用者の利便性は向上した。
日本電電公社は
1985年にNTT(日本電信電話株式会社)になる。そして
1987年、通信の自由化に伴い、
九州ネットワーク・システムズ等が参入を始める。その後
1990年の宮崎テレメッセージまでで、
36社による1地域2社(NTTと新規参入会社)の体制になった(
公衆移動通信システムの技術発展の系統化調査)。
ポケベルは、当初は呼び出し機能しかなかったが、1987年に連絡先電話番号を数字で表示できる方式が開発される。ポケベルと言えば、数字のメッセージというイメージが強いが、この頃にようやくその機能が付いたわけだ。
これ以降ポケベルでは、数字を利用したコミュニケーションが発達する。「14106」(愛してる)、「0906」(遅れる)、「724106」(なにしてる?)など、語呂合わせによる様々なメッセージが飛び交うことになる。
ポケベルは社会に浸透していく。1993年には、主人公が緒形拳、恋人が裕木奈江のドラマ『ポケベルが鳴らなくて』もヒットする。
1995年3月には、端末買い取り制度の導入とともに急速な普及が始まり、低価格化が進む。1994年にはカナ文字を表示できる方式、1996年には漢字表示の機能も開発された。当初は160gだった受信機は、この頃には40gを切るようになり、携帯性も大幅に上昇した。
ポケベルは
1996年に最盛期を迎える。加入件数も約1077万件という数字になる。しかし、この隆盛を最後に、ポケベルは衰退への道をたどる。携帯電話に駆逐されることになる。
携帯電話の原型になる自動車電話サービスは、1946年アメリカのセントルイスで始まった。日本では1970年から開発が着手され、1979年12月に商用化が実現した。
自動車電話は、自動車から離れた場所では使えない。車から離れた場所でも使いたいというのは当然の要望だ。その声に応える形で、
1985年9月にショルダーホンが開発される。そして
1987年4月に、日本初の携帯電話サービスをNTTが開始した。
携帯電話開始直後の端末は、体積500cc、重量750gと大きかった。その後、小型化の流れが始まる。1991年4月には、体積150cc、重量230gという、当時世界最小・最軽量の携帯電話をNTTは作り、
「ムーバ」の名称で発売する。
この時期には、電気通信事業の自由化により、各社が携帯電話に参入してきていた。1988年12月には、トヨタ自動車系の日本移動通信(IDO)が首都圏でサービスを開始。1989年7月には、第二電電(DDI)系の関西セルラーが近畿でサービスを始める。携帯電話の波が、徐々に社会に押し寄せていた。
ポケベルにとって大きな打撃となったのは、1995年7月から関東と北海道で、10月から全国で開始された
PHS(Personal Handy-phone System)だろう。
PHSは、携帯電話に比べて、基地局の出力が小さく、エリアも狭い。しかしその分、鉄塔などを建てないといけない携帯電話と違って、簡易な装置を設置するだけで基地局を作れる。コストが安い分、サービスの値段にも反映されて安価になる。
PHSが世に出たことで、対抗となる携帯電話の料金も急速に低下した。そのことにより、ポケベルを使っていた層が、携帯電話やPHSに流れる下地ができた。
携帯電話もPHSも、当初は通信が不安定だったが徐々に安定していく。そしてポケベルと置き換わっていった。
1996年度末には1007万だった加入契約数は、
1997年度末には711万、1998年度末には376万、1999年度末には207万、1999年度末には143万と激減する(参照:
総務省)。
対して携帯電話とPHSは順調に数を伸ばす。上記の数字の5年前から数字を見ていこう。
1991年度末には137万件、1992年度末には171万件、1993年度末には213万件、1994年度末には433万件、1995年度末には1171万件(携帯電話 1020万、PHS 150万)。
1996年度末には2690万件(携帯電話 2087万、PHS 602万)、1997年度末には3825万件(携帯電話 3152万、PHS 672万)、1998年度末には4730万件(携帯電話 4153万、PHS 577万)、1999年度末には5684万件(携帯電話 5113万、PHS 570万)とポケベルを上回る勢いで普及していく。そして
2006年度末には1億件を突破する(携帯電話 9671万、PHS 498万)。
2004年6月、NTTドコモはポケベルの新規契約の受付を終了、2007年3月末にサービスを終了した。この時のポケベルの契約数は16万程度であった。
そして2018年12月に、東京テレメッセージが、個人向けサービスを2019年9月末に終了すると発表した。利用者は1500人を下回っていたという(参照:
NHKニュース)。そして先月末の
個人向けサービス終了の日を迎えたのである。
1000万人を越えたサービスが、20年と少しで1500人以下である。隆盛を極めたサービスも、短い時間で消滅する。新しい技術に古い技術が置き換わっていくのは常だが寂しくも感じる。
<文/柳井政和>