新自由主義を否定し、「リベラリズム」を復権させたクオモの言葉

1991年のマリオ・クオモ

1991年のマリオ・クオモ

 2015年が明けてすぐ、1月1日に82歳でその生涯を終えたマリオ・クオモ元ニューヨーク州知事。彼は数多くの名演説を残したが、中でも、2015年の日本に住む我々の胸を打つ名演説がある。  それが、1984年の民主党全国大会での基調演説だ。それがなぜ今の日本人が耳を傾けるべきものなのか。 ※前編「「今の日本」だからこそ聴きたい、故マリオ・クオモ元ニューヨーク州知事の演説」(http://hbol.jp/19943)  1984年、サンフランシスコで行われた民主党党大会の基調演説で、クオモは次のように切り出した。 「大統領閣下は先日、この国を『高台に佇む輝かしい街』と形容された。なるほど、確かに見ようによれば、この国は『輝かしい街』かもしれない」  そう、このスピーチに先立ち、レーガンは自分の業績を自画自賛していたのである。その話を引き合いに出し、彼は、こう続けた。 「確かに、ホワイトハウスのポーチや金持ちのお仲間が集まるあなたの保養地からみたら、そりゃこの国は『高台に佇む輝かしい街』に見えるでしょう。しかしこの『輝かしい街』には影の部分がある。(中略)『輝かしい街』の”輝き”が差し込まない地下室で寒さに震える老人たち、”輝き”さえない路上での生活を強いられる人たち、”輝かしさ”のかけらもないゲットーで、仕事も教育の機会もなく毎日毎日ドラッグディーラーにむしりとられる若者たち。大統領閣下。あなたのおっしゃる『輝かしい街』には、あなたには見えていないそしてあなたが見ようともしない場所があるんです!」 と、徹底的にレーガンの自画自賛を否定したのだ。  クオモのレーガン批判は、レーガン大統領が喧伝する「レーガノミクス」にも及んだ。 「レーガン大統領は、『社会ダーウィニズム』だの『適者生存』だのと言う。『政府がなにもかもするのはおかしい』と言う。競争に勝ち残った強者を保護し、残りは市場原理がなんでも解決すると。(中略)共和党はフーバー大統領時代、この路線を『トリクルダウン』と呼んでいた。いま、共和党はこれを『サプライサイドエコノミー』という。しかしこの路線では、一握りの金持ちが『丘の上の輝ける街』が住むことができるだけで、締め出された人々は、遠くからその光を眺めるしかないのは明らかだ!」  つまり、クオモは、新自由主義路線の基調である「適者生存原則」や「頑張った人が報われる社会原則」は、社会を向上させるどころか、格差を広げるばかりであり、「トリクルダウン」など発生するわけがないと、1984年の段階で指摘していたのだ。

弱体化したリベラリズムはどうやって復権すべきか?

 レーガンの自画自賛と新自由主義を批判する一方、クオモは自信を無くしかけていた民主党に「リベラル諸原則」に立ち戻るよう呼びかける。その諸原則の一部を引用すると次のようになる。 ●公平性と合理性を原則とした政府を目指すべきこと ●公平かつ強固な法秩序を目指すべきこと ●「愛」と「思いやり」という言葉を使える「強さ」を持った政府を目指すべきこと。そして、理想を具体的政策に落とし込める「賢さ」を持った政府を目指すべきこと ●才能ある人を応援するのは当然だが、「適者生存原則」などは動物界の原理であり、人間のための政府は、もっと高邁な理想で運営されるべきこと ●何千億ドルもの予算を費やして大量破壊兵器を開発できる政府であるのならば、中流階級の日常を支援し、働く意思のある人には就業のチャンスを提供し、ホームレスにはシェルターを提供し、高齢者と乳幼児を援助できる政府を目指すべきこと ●生は死に優るという単純な事実を直視し、平和は戦争に優ると信じるべきこと ●労働組合運動に誇りを持つべきこと ●プライバシーを尊重し、透明度の高い政府を目指すべきこと ●人権を尊重すべきこと ●人種や性別や出身や政治的信条を超えて、お互いの重荷や幸運を分け合える社会を目指すべきこと  前回の大統領選での敗北から、自分たちの思想的基盤にさえ懐疑的になっていた民主党員たちに、クオモはあえて原理的な原則を提示することで奮起を促した。  これほど端的かつ明確に、アメリカ的なリベラルの原則を演説という形で言語化した政治家は、おそらく、マリオ・クオモただ一人であろう。  結局、1984年の選挙では、民主党のモンデール候補はレーガンを破ることができなかった。その後も、レーガン政権、ブッシュ政権と、クリントン政権が誕生するまでの12年間、共和党が大統領を独占しつづけた。しかし、クオモが提示した「新自由主義へのアンチテーゼ」と「リベラル諸原則」は民主党の基本姿勢として再確認されつづけていき、クリントン政権やオバマ政権で再び日の目をみることとなった。  クオモ自身も、その後、ニューヨーク州知事としてこのリベラル諸原則を忠実に守り続けた。州議会が死刑導入法案を出すたびに拒否権を発動する彼の姿は、ある種、風物詩となっていた。また、ローマカトリックの敬虔な信者であるにもかかわらず、自分の宗教的信条より女性の権利を優先し、妊娠中絶の合法化にも動いた。州議会や有権者から弱腰さや優柔不断さを批判されながらも、彼は、彼自身が言語化した、リベラル諸原則に忠実に、ニューヨーク州政を運営し続けたのだ。

クオモ演説が現代の日本で持つ「意味」

 2年前の衆院選での自民党の地滑り的な勝利以降、日本のリベラル勢力は、1984年のアメリカのリベラル勢力のように自信を失ったままでいる。さらに昨年暮れの衆院選が追い打ちをかけた。日本の民主党は議席を伸ばしたものの、党首が落選するという手痛い打撃を受けた。安倍政権はいよいよ自信をつけ、「アベノミクス」「美しい日本」などの掛け声が日本を覆っていくであろう。  「レーガノミクス」と「丘の上の輝かしい街」を喧伝したレーガンに対し、「レーガノミクスはまやかしである」「トリクルダウンは起こらない」「影で苦しむ人々をみろ!」と真っ向から対峙し、「人権を尊重しよう」「透明な政府を目指そう」「軍拡より社会保障を拡充させよう」「中流階級を増やそう」と愚直に叫んだ、1984年のマリオ・クオモの演説は、自信をなくした日本のリベラルにとって、「リベラルの灯台」からはなたれる、一筋の光明のように思えてならないのだ。 ※マリオ・クオモの1984年演説全文トランスクリプトはこちら(英文) http://www.americanrhetoric.com/speeches/mariocuomo1984dnc.htm <文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)>
すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(sugano.shop)も注目されている