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米Twitter社が7月9日、宗教集団を「非人間的」なものとして扱う投稿を削除すると発表、このルールを同日から運用するとした。同社は昨年からヘイトスピーチ対策として、集団に対する攻撃的投稿を禁止する姿勢を示し、利用者から意見を公募。それを踏まえて最初の規制として発表されたのが、今回の
「宗教集団を非人間的なものとして扱う投稿」だ。その例として、宗教団体を名指しして「この国を蝕む癌」「蛆虫」「虫けら以下」といった言葉が挙げられている。
禁止対象を例示するTwitter社の告知
ヘイトスピーチ対策としては一見、当然のことのようにも思える。しかしこのルールは、
人権侵害や違法行為などを行う反社会的なカルト集団にとって、自団体に対する批判・非難を削除させユーザーを萎縮させる上で実に「便利」だ。ヘイトスピーチ対策の名のもとに、本来であれば削除されるべきではないものまで削除される「不当な巻き込み事故」を大量発生させ言論の委縮を招く、有害なルールに見える。
大前提として、
宗教ヘイト対策はほかのテーマにおけるヘイト対策同様、絶対に必要だ。非イスラム世界におけるイスラム教差別もあれば、国や地域ごとにもっと小規模な宗教集団をターゲットにした差別もある。宗教対立や宗派対立もある。宗教ヘイトは特定の民族へのヘイトと重なるケースもある。
宗教に限ったことではないが、
ヘイトスピーチはヘイトクライムにつながりかねない危険で有害なものだ。そこまで至らなくても、
集団に属する個々人の社会生活を脅かす行為を正当化するような「空気」を醸成する。放置していいものではないことは明らかだ。
ヘイトスピーチ対策としての表現規制に反対する側の主張の一例として、「ヘイトスピーチも表現の自由」論がある。私はこれを支持しない。ヘイトスピーチは、特定の個人の名誉を棄損したりプライバシーを侵害したりする類いの権利侵害とは構図が異なるし、必ずしも直接の因果関係をもった被害を伴うとも限らない。しかし上記のように社会にとって有害なものであることは明らかだ。単に、差別された側が不快に感じるという「お気持ち案件」ではない。
関東大震災時の朝鮮人虐殺においては、朝鮮人と間違われた日本人や中国人も殺されたと伝えられている。
ヘイトクライムは正確な事実関係や判断基準によって攻撃対象を選んだりはしない。そんなことができる人間なら、そもそもデマや差別的言説に踊らされて暴力に走ったりはしないだろう。
ヘイトスピーチが生み出す不穏な社会情勢は、差別の対象とされていない人々をも殺す。
「いまは運よく差別の対象にされることから免れている私たち」にとっても深刻な問題だ。差別の被害者を守ることは言うまでもなく、少なくともいまはまだ被害者ではない私たち自身を守るためにも、ヘイトスピーチ対策は必要だ。どのような規制が望ましいかは議論が必要だが、少なくとも「表現の自由」で片づけていいはずがない。