「育児は母親がすれば良い」という風潮が母親たちを苦しめる

 筆者には、1歳11か月の息子がいる。保育園送迎はもちろん、食事やお風呂、病気になったときの通院など子育てに深く関わっている。そのため、これまで、育児を理由に仕事や用事を何度もお断りしたことがある。その際、相手が発した「子どものことなら奥さんがいるよね?」という言葉にモヤモヤしてきた。その言葉の背景には、「子育て=母親がすること」という決めつけがあると感じるからだ。  産後まもなく妻が心身のバランスを崩したことで、筆者は子育てをメインで担ってきた。日々子どもに向き合う生活の中で、育児は想像以上にハードであること、女性が育児という重大ミッションを担って当然、とされる風潮に疑問を抱き始めた。

妊娠・出産の疲労、育児のプレッシャーで妻が倒れる

 息子が生まれたのは、2017年6月のこと。待望の長男が家族に加わり、幸せの絶頂にいた。このまま楽しい日々が続くものと、筆者は思い込んでいた。  妻が退院して一週間ほど経ったとき、状況は激変した。雨が降っている中、妻が突然、行き先も告げずに家を出たのだ。30分後に戻ってきた時には、全身ずぶ濡れ。目には力がなく、話しかけても反応は弱かったため、妻の精神状態が普通じゃないことはすぐにわかった。日が経つにつれて、妻は「子どもが可愛くない」「死にたい」などと口にするようになり、家庭は真っ暗になった。  原因に心当たりはあった。妊娠と出産で疲れ果ててていたところに、目の前にいるか弱い命を育てることのプレッシャーが妻にのしかかったことだ。さらに夜中の授乳による深刻な睡眠不足も妻の体力と気力を奪った。さらに、当時筆者は仕事でほぼ半日家を空けており、妻がワンオペ育児状態だったことも追い討ちをかけた。

寝不足でマルチタスク、孤独感

 その後筆者は在宅で仕事ができるよう少しずつ働き方を変えていき、妻に療養してもらいながら、家事と育児をしながら仕事をした。独身時代はひとり暮らしをしており、ひと通りの家事はできると自信があった。もともと子ども好きだったので、育児もできるとたかをくくっていたが、育児は想像以上にハードだった。  特にきつかったのが、寝不足だ。新生児はほぼ3時間おきにミルクを求めて泣く。筆者はそのたびに起き、眠気まなこをこすりながらキッチンでミルクを用意して、息子に与えた。この生活が毎日続いたのだ。細切れ睡眠では疲れは抜けず、頭はぼーっとして体はいつも重かった。また、命を守るプレッシャーもあった。うつ伏せで眠っていないか、ちゃんと呼吸をしているかを頻繁に確かめた。この状況に仕事が加わったので、筆者はかつてないほどの疲労感を覚えた。  育児ですることは、オムツ交換、ミルク作り、授乳、お風呂など、ひとつひとつはシンプルな作業ばかりだ。しかし、それらの作業を精神的にも肉体的にも疲れた状態で、なおかつ最優先で高い頻度で行わなければならない。  親が眠かろうが、体調がイマイチだろうが、子どもは一切の忖度なしにお世話を要求してくる。仕事との並行は至難の技だったし、筆者はかつてないマルチタスク力を求められた。  個人的には「孤独感」も辛かった。育児は、家庭という閉じられた空間で行われる。ネット経由でさまざまな人と連絡は取れたが、以前のように自由に会いに行けるわけではない。だんだんと、自分が周りから切り離されたような感覚を抱いた。1か月ほどこの生活を送ってみて、妻がどれほどの負担を強いられていたかを痛感した。
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「パパがひとりで赤ちゃんのお世話をして偉いね」?
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