写真/時事通信社
2019年4月12日、
衆院と参院の予算委員会に所属する野党議員は、予算委員会の開会を要求しました。それは、立憲民主党、国民民主党、日本共産党、日本維新の会、無所属を含む、文字通り一致しての要求でした。
立憲民主党国会情報ツイッターによると、次のように書かれています。
”予算委員会開会要求
安倍政権内において、不適切な発言と辞任が相次いでいる。塚田一郎元国土交通副大臣は、安倍総理と麻生副総理の地元を結ぶ道路整備をめぐって「私が忖度した」などと発言。櫻田義孝前五輪担当大臣は、安倍内閣が最重要課題に掲げている東日本大震災からの復興以上に、衆議院議員が大事であると発言。いずれも事実上の更迭であり、安倍内閣の驕りと緩みから生じたものと言わざるを得ない。このような事態を招いた安倍総理の責任は重大であり、改めて、安倍内閣の政治姿勢について問いたださなければならない。よって、緊急に予算委員会の開会を要求する。
以上についての回答を4月16日正午までに求める。”
これに対し、回答期限の16日、
野田聖子衆院予算委員長(自民)と金子原二郎参院予算委員長(自民)は、与党の開催合意が得られないとして、事実上の開会拒否を回答しました。立憲民主党の
蓮舫参院幹事長の会見によると、仮に委員長の職権で予算委員会を開いたとしても自民党が出席をしない姿勢を示したためとのことです。
この出来事について、野党からは「
与党による審議拒否」との声が上がり、次のように報じられました。
〈不祥事巡る予算委、与党が開催拒否 野党「審議拒否だ」〉「朝日新聞」19年4月16日
〈集中審議 与党が開催拒否…桜田氏辞任 首相追及へ野党要求〉「読売新聞」19年4月16日
〈衆院予算委開催、与党が拒否 五輪相辞任受け野党要求〉「毎日新聞」19年4月16日
昨年(18年)の通常国会で、野党が審議拒否したときには「国会サボり」などと、厳しい批判が浴びせられました。必ずしも「サボり」でないとの
筆者の解説記事〈野党の「審議拒否」は「サボり」なのか?〉に対しても、多くの批判が寄せられました。
そこで、今回の与党による「審議拒否」について、国会の制度や規定から解説します。
今回の
野党による予算委員会の開会要求は、次の衆院規則と参院規則に基づきます。
”
衆院規則第67条2項 委員の3分の1以上から要求があつたときは、委員長は、委員会を開かなければならない。”
”
参院規則第38条2項 委員の3分の1以上から要求があつたときは、委員長は、委員会を開かなければならない。”
一方、今回の
与党の審議拒否は、国会法に基づきます。
”
国会法第49条 委員会は、その委員の半数以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。”
つまり、衆参規則に基づき、
野党(国会少数派)が委員会開会を要求し、委員長が開会しても、与党(国会多数派)の欠席により、半数以上の出席がないため、委員会が流会(中止)になってしまうのです。それが明白なために、委員長は開会を実質的に拒否したわけです。
これは、それぞれ別の根拠に基づき、法が優越し、規則が劣後するという単純な問題でありません。衆参の規則は、国会法第48条「委員長は、委員会の議事を整理し、秩序を保持する」の細則で、国会法の第48条と第49条のせめぎ合いだからです。
この要因は、
国会法や衆参規則がこうした矛盾を想定していないことにあります。委員長が48条に基づき委員会の日時を決めた場合、少なくとも与党(国会多数派)の意思と矛盾しないと想定されているわけです。
一方、
衆参規則で野党(国会少数派)の開会要求があった場合、委員長の権威でもって与党議員を従わせ、与党も委員長の決定に従うことを想定しています。
要するに、
衆参規則に基づく開会要求があれば、委員長は開会を前提に与党理事と日程調整し、与党議員を出席させることが、国会法や衆参規則の求める委員長のあり方なのです。
ならば、なぜそれを国会法や衆参規則に規定しないのでしょうか。実は、議決(決定)のときはさておき、議事(審議)のときの定足数については、もっと緩和できないか、これまでも議論になっています。ただ、与党と野党それぞれ、緩和によるマイナス面があるため、これまで実現していません。与党とすれば、野党による内閣批判の機会を増やすことになってしまいますし、野党とすれば、与党による強引な議案審議を可能にしてしまうからです。
それを解決するには、
内閣・議案のチェックという国会の最大の役割の発揮について、与野党双方が共通認識とし、それにふさわしい行動を取ることが大前提になります。
国会法や衆参規則は、国民の代表たる国会議員が、与野党を超えて国会の役割を尊重する前提でつくられています。
そうすれば、今回のような矛盾は生じません。
国会制度の想定外というわけです。
ちなみに、与党の審議拒否(委員会の開会拒否)をめぐっては、かつても悶着があったと記録されています。1961年10月18日の衆議院議院運営委員会小委員会の議事録には、柳田秀一衆議院議員(日本社会党)の発言として、次のようにあります。
”一人の委員長が雲隠れをしたら、委員会が開けない。野党ばかり責められますけれども、自民党も同じことをやっております。決算委員会の委員長もずっと雲隠れして―自分に都合の悪いことを野党が議題に上せたときに、決算委員長は、理事と打ち合わせて、はるかに熱海まで行っておったというようなことがあるんです。”(衆議院事務局編『逐条国会法第3巻』463頁)