なぜメディアは真相に迫りつつある国会の議論を無視し、別件逮捕で騒ぐのか?

あの夫婦の公判が始まった

写真/時事通信社

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 物書き稼業に足を踏み入れてこのかた、恥ずかしながら「大きな裁判」の取材をした経験がない。  今でこそ、日本会議は有名な存在になったが、私が2016年に『日本会議の研究』を上梓したころの日本会議の認知度など「それはなんのために開催される会議なの?」という反応が返ってくる程度のものだった。  森友問題もそう。一昨年の2月に朝日新聞が第一報を報じた時も、森友学園がどんな学校法人なのか、そして当時、森友学園が日本会議をはじめとするいわゆる「保守ビジネス界隈」でどのようなプレゼンスを持っているかという知見に基づいて、「これはヤバい」と即応できたのは、私を含めて数人の物書きしかいなかった。  先見の明を誇ろうというのではない。むしろその逆。自分が小さいネタを扱った経験しかないということを正直に吐露しているのだ。日本会議や森友問題が大きな話題になったのは、たまたま、偶然のことで、結果論にすぎない。  小さなネタしか追いかけたことのない私にとって、先日、大阪地裁で行われた、籠池夫妻の刑事事件初公判への世間の注目は、驚くほかないものばかりだった。

呆れるほかないメディアの姿勢

 そもそも、森友問題を追いかけ続ける立場から言うと、この刑事事件に注目が集まることすら理解できない。それなのに、地裁の中庭には500人以上の傍聴希望者が集まっている。 「なんで社会的に意味のないこの裁判にこんなに注目が集まるのだろう?」と訝しんでいたが、現場で観察していると、集まっている人たちの大半が、大手メディアが雇った行列対策用のバイトさんたちにすぎないことがわかってきた。
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最後の最後まで、追い続けてやる
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