四半世紀の時を経てコロンビアで再びコカイン生産が増大。搾取の構造にメスを入れなければ変わらない

コカイン

photo by stevepb via pixabay(CC0 Public Domain)

 1980年代から90年初頭まで麻薬、特にコカインの最大供給国だったコロンビア。  しかし、当時最大カルテルのリーダーだったパブロ・エスコバルが1993年に死亡すると、それ以後、コロンビア政府による麻薬撲滅への動きもあって、麻薬生産国トップの座をメキシコに明け渡した。そして、メキシコに通称エル・チャポと呼ばれている麻薬王ホアンキ・グスマンが登場するのであった。  コロンビア政府による麻薬撲滅の動きは徹底していた。2002年にアルバロ・ウリベが大統領(2002-2010)に就任すると、米国の助けを借りてコカインの生産を抑える戦いを実施したのであった。それが功を奏して、彼の後を継いだフアン・マヌエル・サントスが2010年に大統領に就任した時にはコカの作付面積は5万ヘクタールまで減少したのであった。  ところが、コロンビア内戦を停戦に導いたとしてノーベル平和賞も受賞したサントス政権期の意外な事実が話題になっている。

ノーベル平和賞受賞大統領時代にコカイン生産が復活

 この8月、フアン・マヌエル・サントスが任期満了となり、新大統領イヴァン・ドゥケが大統領に就任した。  なんとその時には、コカの作付面積は20万9000ヘクタール、コカインの生産は921トンにまで増大していたのであった。作付面積だけでも8年間で4倍に拡大している。(参照:「El Mundo」)  サントス前大統領の政権時にコカインの生産が増大したというのは一つの理由がある。それは次のような理由からである。  コロンビアで半世紀の間存在し、20万人以上の犠牲者を出したゲリラ組織コロンビア革命軍(FARC)との和平協定を結ぶことをサントス前大統領は優先。彼らゲリラ組織の主要な収入源は貧困層の農家が栽培するコカをもとにコカインを生産して収入を得ることであった。  そのため、ウリベ元大統領の政権時はコカの栽培を撲滅すべく飛行機からグリフォサート除草剤を散布し、強制的にコカの栽培を取り締まっていた。  ところが、FARCはコカの栽培をしている貧困農家から和平協定への支援も得るべく除草剤の散布を中止するように政府に要請し、農家もコカの栽培を自主的に止めて他の農作物への転換するように了解を求めた。そして、コカの栽培を放棄する代わりに政府は農家に助成金を出すということにしたのである。  和平交渉の当初、2012年には7万8000ヘクタールの作付面積で165トンのコカインが生産されていた。コロンビア政府とFARCは、コカ栽培農家が助成金の付与と引き換えに自主的にコカの栽培を放棄することを期待していた。(参照:「El Pais」)
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儲からないのにコカ栽培に頼らざるを得ない農家
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