地頭薗選手がReadyforで出したクラウドファンディング。『“ZONO”海外で夢を追い続けるプロサッカー選手の挑戦』
大学卒業後、男は日本で所属チームが見つからず、トライアウトでやってきたタイで騙された。その後月給が一銭も出ない日本の下部リーグでプレーして、シンガポールで初めて選手として給料をもらい、その後マレーシア、タイと確実にステップアップは果たしたものの途中で契約を解除されて路頭に放り出された。間もなく終わる二十代と同時に男のサッカー人生も終わる…はずだった。言ってみればサッカー選手あるあるである。
しかし、男はここからが違った。サッカー選手としての活動資金をクラウドファンディングで百万円以上集めてみせた。そして、次の機会を虎視眈々と狙っている。
筆者はバンコクでそんな男に直撃した。
「大学卒業して最初に入ったのがSC相模原です。当時は関東リーグで、僕の最後の年はJ3まで上がりましたけど、給料はありませんでしたからね。外から見ればスカパーでも毎試合放送される憧れのサッカー選手ということになるわけですが、実態は無給ですからね。どうしてもサッカーでメシが食いたくて、四年目のシーズンに入る直前に僕のわがままで相模原を離れることになりました」
当時の地頭薗雅弥は26歳、一般社会人ならまだ洟垂れ小僧レベルだがサッカー選手としては全然若くなく、もう時間がない。
もう何年も昔のことだが、筆者がJ1の某選手とプロ将棋棋士を交えた飲み会を開催したことがある。(註:一応書き添えておくが、その晩このサッカー選手はアルコールを口にしなかった)参加者の一人が、二人に年齢を聞いた。たしか、それぞれ28と26だった。先輩風を吹かせたかったのか、彼が「お若いですね」と言うので、筆者が制止した。
「ちょっと待った。サッカー選手の28と将棋指しの26って、これっぽっちも若くねえぞ」
サッカー選手にとって、26歳とはそういう年齢なのだ。
ここから地頭薗は地獄の日々を送る。8か月間無所属の状態が続き、タイでトライアウトを受けて落ち、ドイツの下部リーグにも足を伸ばすが話がまとまらなかった。交通費その他は全て自腹である。その間、彼は知人が運営するサッカースクールの指導で食いつなぎ、最終的にシンガポールのアルビレックス新潟シンガポールに拾われた。プロ野球をクビになり、バッティングセンターでバイトをして食いつなぎ、復活した筆者の友人・カズ山本を彷彿させる物語である。
たまたま今回、筆者にはサッカーのことを全く知らない友人が同行していた。地頭薗は彼が理解できるようにわかりやすくかみ砕いて説明してくれた。
「今回1月末にクビになったんですけど、そのころには外国人枠も含めて全部チームのメンバーが固まっているわけですよ。だって2週間後の2月には開幕ですからね。そして、サッカーの世界って冬と夏のそれぞれ一か月間しか移籍できないんですよ。つまり僕は夏の移籍ウィンドーが開くまで半年間無所属が確定してしまったわけです。それで何かやらなきゃと思って、思いついたのが
クラウドファンディングでした」