張栩九段と「囲碁パズル4路盤」
今年一月末まで四段だった藤井聡太は、いつの間にか六段になった。彼の快進撃はいまだとどまることはなく、将棋ブームはまだ続いている。
だが、そんな将棋ブームを切歯扼腕、忸怩たる思いで見つめる集団がいる。日本棋院、つまり囲碁棋士とその関係者の集団である。
「幸運の女神には、前髪だけが垂れていて、後ろには髪がない」とは昔からよく聞く言葉だが、普及の点で日本囲碁にも一度幸運の女神が訪れた。「ヒカルの碁」である。
同作が少年誌で連載されて大ヒットし、テレビアニメ化も実現した。そしてこの作品がきっかけで囲碁を始め、中にはプロ棋士になった人物もいる。それでも、まだ世間一般を見回すと、「将棋の駒の動かし方は知っているが、囲碁のルールは知らない。やったことがあるのは五目並べだけ」という人たちが大部分ではないか。何事でもそうだが、競技のレベルを高めるにはまず底辺を広げる、知ってもらう、報道されるということが重要なのだ。
しかしながら、囲碁はニュースになる頻度が将棋より明らかに少ない。井山裕太九段は今回のLG杯決勝進出を果たす前に、準決勝で現在世界一位の柯潔(か・けつ)九段を破っている。控えめに見積もっても、2014年全米オープンで世界一位のノバク・ジョコビッチを降して決勝進出を果たした錦織圭に匹敵する偉業である。だが、報道の扱いが小さすぎるのだ。
筆者はそんな現状に一石を投じたいと思い、報道という点で昨年七月に井山裕太×藤井聡太の対談を実現させた。あの熱狂の真っ最中にこの二人をブッキングして引っ張り出すのは至難の業だったが、筆者が藤井聡太と12歳の時から家族ぐるみで付き合ってきたから実現できた。あの瞬間、筆者は日本で一番イケている凄腕ジャーナリストとなった。盟友ランコ・ポポヴィッチに耳打ちしてレアル・サラゴサの大逆転勝利を演出した時と同じである。悔しかったらそれ以上のことをやってみろ、とこの場で大いに自慢しておく。
棋士の中にも、囲碁普及のためにさまざまな試みを行う人がいる。史上初の五冠王でトップ棋士である張栩(ちょう・う)九段が、そんな囲碁の底辺を広げるために開発したのが「囲碁パズル4路盤」である。碁盤は19×19である。9×9の将棋より広い。というより、初心者には広すぎる。そこで、盤面を4×4に限定して囲碁における「石を囲む」「取る」という「詰碁」の概念を身に着けやすく配慮されたのがこの「囲碁パズル」である。
「元々は娘が囲碁に親しみを感じてくれるようにと赤と青のリンゴを使って“よんろのご”というのを作ったのが始まりです。やっぱり、家系から考えて責任も感じますからね」(張栩九段)
囲碁をご存じない方には、“家系”という言葉の説明が必要だろう。
張栩九段の夫人は小林泉美六段である。結婚当時は、両方が本因坊のタイトルを持っていたため、「本因坊カップルの誕生」と祝福された。そして小林泉美の父は小林光一名誉三冠であり、母は故小林禮子・元女流名人である。そして小林禮子の実父は「木谷道場」から幾多の強豪棋士を輩出した木谷實九段である。つまり、張栩・小林泉美夫妻の娘は囲碁一家の四代目ということになる。三代続いたら、四代続けたいというのは人情だろう。反対に、筆者はこれまで「子供をプロ棋士にしたい将棋指し」というのは一人も見たことがない。
「将棋と比べて甘いんですかね? そんなことはないと思うんですがね。でも、確かにご指摘の通り何代か続けて碁打ちになった一家はいくつかあります。私も娘が今プロを目指しておりますが、この年齢でここまで達しなかったら諦めよう、という線はいつも厳しく考えています。決して誰にでもお勧めできる道ではないのですが、うちは娘ですから、普及などで貢献できる場面は多いのかなとは思います」
そう語る張栩九段が娘のために開発した「よんろのご」、なんと2011年にりんごのデザインで発売され、現在までに七万部のヒットとなっている。そして書籍化も実現した。