「3時間天下」で終わったカタルーニャ共和国。独立宣言後、自治機能が停止され閣僚は全員解任に

今後、反逆罪に問われる可能性も出てきたプッチェモン州知事 photo by CDC via flickr (CC BY 2.0)

 10月21日にラホイ首相が閣議で憲法155条の発動を決定したことは、プッチェモン州知事にとって重圧となっていた。彼は二者択一の選択を迫られることになったからだ。  その二択とは、「議会を招集して独立宣言をするか?」か、「州議会を解散して選挙を実施するか?」である。  スペイン政府によって155条が発動されれば、自治機能は停止する。マス前州知事の時から、伝統ある左派共和党(ERC)と、カタルーニャのブルジョア層から生まれた右派政党である右派政党CiU(集中と統一)から分離してできたカタラン・ヨーロッパ民主党(PDeCAT)が、左右の垣根を超えて連立政権(Junts pel Sí)を誕生させたのも、二党の唯一共通した目標がカタルーニャの独立を達成させるということからであった。ちなみに、プッチェモン州知事はPDeCATに属している政治家である。  プッチェモン州知事の決断を鈍らせたのには理由があった。

プッチェモンの脳裏をよぎった、銃殺された元知事

 10月26日午前、プッチェモン州知事は午後1時半に記者会見をすると発表したのである。その席で、州議会選挙を実施することを発表するという噂が報道関係者に伝わった。というのも、前日夜の連立政権の会合で州知事が選挙する方を選ぶと会合メンバーに伝えたのが報道関係者に漏れたからであった。それに対して、ジュンケラス副州知事(ERC党首)が猛烈に反対を表明してERCの閣僚は全員辞任することを表明したことも同時に情報として漏れた。ERCは独立宣言をすることを望んでいたからである。  元々、ERCは1932年に当時のマシア党首がカタルーニャ自治州を誕生させて州知事になったという前歴を持っている伝統ある政党だ。当時のカタルーニャ自治政府はマシア州知事が亡くなった後、彼を継いだ州議会議長だったカンパニが州知事に就任すると、1934年10月にカンパニはカタルーニャの独立を宣言するのであった。カンパニは反逆罪で逮捕され、収監された後、フランスに亡命したが、スペインに送還されて銃殺された。  プッチェモン州知事はカンパニのことが脳裏に焼き付いていたようである。独立宣言をすれば国家の統一を妨げたとして反逆罪で逮捕されることを覚悟せねばならないからだ。ただ、議会選挙の実施決めればERCの閣僚が辞任するという。  二者択一の間で揺れるプッチェモンだが、選挙の実施はスペイン政府も望んでいることであり、カタルーニャの独立反対派の市民そして多くのスペイン国民も冷静さを取り戻すことが出来ると彼は考えたようであった。
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「3時間」だけの独立
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