国民的飲料「カルピス」の知られざる起源――元僧侶の創業者が発揮した驚くべき経営手腕

平野健児

世界まで巻き込んだ、国際懸賞ポスター展

 その中でも特に目を引くのが、第一次世界大戦後のインフレに苦しむドイツを中心とした欧州の商業美術家救済事業として、外務省ともタイアップして1923年に開催した、カルピスの宣伝用ポスターデザインを公募した「国際懸賞ポスター展」で、各国から1400点もの作品が集まりました。これは欧州に比べて格段に遅れていた日本の商業美術界に新風を吹き込もうとしたものでもありました。  これらの作品の数々は、東京・大阪・福岡・福井・石川で行なわれた展覧会でも大きな反響を呼び、入賞した以外の応募作品も、競売にかけられ、応募者に代金が送られました。なお、長年にわたって愛されていた、パナマ帽を被った黒人男性がストローでグラス入りのカルピスを飲んでいるデザイン(1990年に使用を中止)は、この時に3等に入賞したドイツ人のオットー・デュンケルスビューラーという著名な図案家の作によるものです。

多くの人々に生きる力を与えた、一杯の「カルピス」

 ここまで触れてきた通り、海雲は今まで誰も挑んだことの無かった飲み物にチャレンジする行動力と、それを様々なやり方で人に伝えるアイデアを持ち合わせていましたが、ただの優れた起業家であるだけでなく、カルピスに取り組んだきっかけや上記の国際懸賞ポスター展を見ても分かる通り、元々僧侶だったこともあり、ホスピタリティに溢れた人物でした。それを象徴するのが、1923年に東京を襲った関東大震災時のエピソードです。焼け野原と化した東京で飲み水を求める人々に、海雲は会社の資産を投じて、冷たい「カルピス」を配って歩きました。当時の状況を海雲はこう語っています。 「その時私がいた山手方面は水が出たので、飲み水に困っている人々に水を配ってあげようと考えた。そのとき、せっかく飲み水を配るのであれば、それにカルピスを入れ、氷を入れておいしく配ってあげようと考えた。いまこそ、日頃の愛顧にこたえるときだと思ったからである。幸いなことに、工場にはカルピスの原液がビヤ樽で十数本あった。これを水で6倍に薄め、それに氷を入れて冷やして配ることにした。金庫のあり金2千円を全部出して、この費用にあてた。さて、配る方法である。そのころ、トラックは1日1台80円でチャーターできた。しかし震災のあとだけに、車は逼迫していたが、何とか4台のトラックをかき集めてきた。そして、翌日の9月2日から東京市内を配って回った。私たちの「カルピス」キャラバン隊は、いたるところで大歓迎を受けた。上野公園に避難していた人々などが、黒山を築いて私たちを迎えてくれた。」  元々、海雲は上記で触れた通り、先進的に企業ブランディングを強く意識していた人物ですので、こうした行動に出るのは自然なことだったのだと思います。そして、その胸の内には、仏教によって育まれた大乗精神や、若き日に内モンゴルで触れた人の優しさといったものが息づいていたのではないでしょうか。 ※最後に、このたびの熊本県と大分県を中心とした震災で被災された皆さまに、この場を借りて心よりお見舞い申し上げます。 決算数字の留意事項 基本的に、当期純利益はその期の最終的な損益を、利益剰余金はその期までの累積黒字額or赤字額を示しています。ただし、当期純利益だけでは広告や設備等への投資状況や突発的な損益発生等の個別状況までは把握できないことがあります。また、利益剰余金に関しても、資本金に組み入れることも可能なので、それが少ないorマイナス=良くない状況、とはならないケースもありますので、企業の経営状況の判断基準の一つとしてご利用下さい。 【平野健児(ひらのけんじ)】 1980年京都生まれ、神戸大学文学部日本史科卒。新卒でWeb広告営業を経験後、Webを中心とした新規事業の立ち上げ請負業務で独立。WebサイトM&Aの『SiteStock』や無料家計簿アプリ『ReceReco』他、多数の新規事業の立ち上げ、運営に携わる。現在は株式会社Plainworksを創業、全国の企業情報(全上場企業3600社、非上場企業25000社以上の業績情報含む)を無料&会員登録不要で提供する、ビジネスマンや就活生向けのカジュアルな企業情報ダッシュボードアプリ『NOKIZAL(ノキザル)』を立ち上げ、運営中。 <写真/Norio NAKAYAMA
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