「無理にでも放射能と折り合いをつけないと生活できない」。南相馬住民の苦悩

 東日本大震災から5年が経過した。最近のテレビ番組では、復興の話題はアリでも放射能の話はナシの雰囲気が強い。センシティブな話題なのでなかなか取り上げづらいのだ。実際に福島第一原発近くに暮らしている人はどう思っているのか。原発からほど近い南相馬市で話を聞いた。

政府や市の言う「安全」は素直に信じられない

市南部小高区市街地

避難指示区域である南相馬市南部の小高区。市街地は今でもゴーストタウンのようだ

 福島県南相馬市は福島第一原発から10km程度しか離れておらず、市の南側3分の1は避難指示区域に指定され、今でも居住が許されていない。居住区域では現在放射性物質を取り除く除染作業が進んでいるが、若い世代を中心に避難する住民が多い。  避難指示区域である南相馬市小高区で活動中のNPO法人で働くK子さん(56歳)は、娘の結婚式をどこで挙げるかで悩みぬいたと話す。 「娘は南相馬で式をあげたいと話しました。そうすれば娘の若い友人たちもここに来ることになります。もし、よそ様のお子さんが被曝して何かあれば取り返しがつきません。政府も市も『(居住可能区域は)安全だ。放射能はもう気にするな』と言いますが、素直には信じられません。  夫と市内で暮らしていますが、なるべく福島県産の野菜は食べないようにしています。この歳になってなんで……と言われるかもしれませんが、あと何十年かはある人生です。少しでも健康でいて、娘たちに迷惑をかけたくないんです」

無理にでも自分を納得させないと、ここで暮らしてはいけない

 別の考えを持つ人もいる。市内の仮設住宅で避難者の支援をする地元NPO法人で働くS子さん(55歳)は、原発事故後、飯舘村に避難して、その後、南相馬市の仮設住宅に移った。 「最初は放射能の被害が怖く、家の中にずっと閉じこもっていました。でも、閉じこもっているとだんだん気分もおかしくなってきます。翌年の2月から仮設の住民をケアする仕事を始めたのですが、あるとき『もう放射能のことは気にしない!』と決めました。  安全だと思っていたわけではありません。でも『ここは危ない』『被曝している』と24時間心配しながら生きていくなんて、できるわけがありません。無理にでも自分を納得させないと、ここで暮らしていくことはできないと思います」
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「放射能のついているモノなんて送らないで」と叱られる
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