新日本プロレスリング公式サイトより
プロレスにハマッてるとか、プロレスデビューした――プロレスラーとしてデビューしたわけではなくて、生まれて初めてプロレスの試合を観にいったという意味で使われているフレーズ――とかいっている人たちに最近、わりとよく出くわす。たいていの場合、その人たちは新日本プロレスのことをフツーに“プロレス”と呼んでいる。
90年代のプロレスブームの時代、つまり“国会議員レスラー”アントニオ猪木がギリギリ現役で、長州力がいて、藤波辰爾がいて、武藤敬司と橋本真也と蝶野正洋の闘魂三銃士がメインイベンターで、いまでは文科大臣の馳浩、お茶の間タレントに変身した佐々木健介が全盛期だった時代、新日本プロレスは年間売り上げ50億円(推定)の優良企業だった。
しかし、2000年のミレニアムを悪いターニングポイントに年間売り上げは毎年10億円単位で落ち込み、2005年には13億円(推定)に低迷。同年11月、ゲームメーカーのユークスに“身売り”という事態に発展した。
その後、ユークス版の新日本プロレスは2012年1月、現在のオーナーのブシロードグループパブリッシング(木谷高明社長)に5億円で買収された。しかし、じっさいの株式の買い取り額は5000万円程度で、残りの4億5000万円はユークスの債務を引き継いだだけだった。
2013年から昨年までの3年間の新日本プロレスの年間売り上げは16億、23億、30億(いずれも推定)と右肩上がりの急カーブを描いている。木谷社長のモットーである「マーケティグと広告費にお金を惜しまないこと」、本業のオンライン・カードゲームと新日本プロレスのコンテンツを合体させたこと、BS朝日でブシロード1社提供による新番組『ワールドプロレスリング・リターンズ』(番組内容はテレビ朝日の『ワールドプロレスリング』の再編集版)の放映を開始したこと。この“3本の矢”が大きくものをいったといわれている。
世界最大のプロレス団体で、ニューヨーク株式市場の上場企業でもあるWWEの年間売り上げは約5億ドル(約585億円)。新日本プロレスも日本国内でのマーケットシェアは7割強で、“世界で2番目”に大きなプロレス団体であることはまちがいないが、やっぱりグローバル・カンパニーのWWEのスケールにはまだまだおよばない。
木谷社長はある経済誌のインタビューで「英語圏と日本語圏の人口の比率は10対1くらいだから、まずは新日本プロレスの売り上げをWWEの10分の1くらいまで引き上げることが当面の目標」と語っている。そして、その向こう側には100億円市場の構築を見据えている。
WWEも新日本プロレスもそのビジネスの仕組みはまったく同じで、マネーを生むのはライブイベント(興行収益)、テレビの放映権、PPV(ペイ・パー・ビュー=衛星チャンネルでの1番組ごとの有料放映)、そしてマーチャンダイジング(自社によるグッズ制作販売と他社へのライセンシング業務)の4部門。両団体とも、今後はネット上の動画配信サービス(月額料金)を大きな収入源ととらえている。
この国にはプロレス団体とカテゴライズできるカンパニー、プロダクションのようなものが大小100グループくらいあって、年間興行数や活動内容にはかなりのばらつきがあるものの、いずれも団体ごとにそれぞれ“登場人物”がいて、それぞれがそれぞれにスタイル、カラー、テイストの異なるプロレスを観客に提供している。
ひとことでプロレスといっても、そのバリエーションの幅はひじょうに広く、深い。映画や音楽やゲームのように、ひとつのジャンルのなかにありとあらゆる世界観がつまっていると考えればわかりやすいかもしれない。
あるいは和食、中華、韓国、タイ、イタリアン、フレンチなどの世界じゅうのグルメのように、それこそジャンクフードのようなものから4つ星のレストランまで、プロレスにもいろいろな“味つけ”や“流儀”“お作法”があるというふうにとらえてもいい。
そんななかで、いまどきの若者――そういう表現を使うとジジくさくなるけれど――に圧倒的な支持を集めているのが新日本プロレスである。いわゆる業界最大手で、日本でいちばん歴史も知名度もあるブランドだから、あたりまえといえばあたりまえのことなのかもしれないけれど、とにかくダントツの人気なのだ。
ここでごくごくかんたんに日本のプロレス史をひも解いておく。日本の“プロレスの父”は力道山で、その力道山のふたりのまな弟子がジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さん。猪木さんが新日本プロレスを設立したのが1972年(昭和47年)1月で、馬場さんが全日本プロレスをつくったのが同年7月。いま日本にあるほとんどすべてのプロレス団体は、この猪木・新日本か馬場・全日本から枝分かれしたものか、系譜上はその孫弟子、ひ孫弟子の団体と考えておけばまずまちがいない。