社会はヘイトスピーチにどう対応すべきか?~トランプ候補ヘイトスピーチに対する米社会の反応から考える

photo by Gage Skidmore(CC BY-SA 2.0)

大統領候補、ドナルド・トランプの「ヘイトスピーチ」

 2016年のアメリカ大統領選挙向けた共和党候補者レースでトップを走るドナルド・トランプ氏が、「(カリフォルニア州で起きた銃乱射事件ついての真相が明らかになるまで)すべてのイスラム教徒の入国を拒否すべきだ」と発言し、物議を醸している 「米トランプ氏 『イスラム教徒の入国禁止を』」(2015年12月8日 NHK) さすがにこの発言は共和党も庇いきれず、同党選出のポールライアン下院議長は「共和党はそんな政党ではない」「これは保守主義ではない」とするコメントを発表した。 “Priebus, Ryan and McConnell rip Trump anti-Muslim proposal” (2015年12月8日 CNN)  さらに辛辣な批判を展開したのは、ホワイトハウスだ。  現地時間8日の記者会見でジョシュ・アーネスト大統領報道官は、「(トランプ氏は)大統領の資格を失った」と指摘。さらに同氏を“carnival barker”「道化師」“fake hair”「カツラ」とこき下ろしたうえで、差別発言が飛び出し続けるトランプ氏の選挙運動を”dustbin of history”「歴史のゴミ箱」だと表現した。 “White House says Trump’s anti-Muslim policy ‘disqualifies him from serving as president’”(2015年12月8日 Washington Post)

日本におけるヘイトスピーチの現状

 トランプ発言のようなヘイトスピーチが横行するのは、アメリカだけではない。残念なことだが、我が国でも、いまだにこの種のヘイトスピーチが横行している。  在特会を始めとする所謂「行動する保守」界隈の活動を監視しつづける団体・「行動する保守アーカイブプロジェクト」は、先日、2008年から今日までに実施されたヘイトスピーチデモの様子をまとめた動画を公開した。 (閲覧注意)「行動保守アーカイブ 2008 – 2015 ヘイトスピーチ&排外主義編」 (※現在は削除済み) 「朝鮮大学から出てきて殺されろよ」「不逞鮮人を平壌の肥溜めに叩き込め」「不法入国したフィリピン人をたたき出せ」と、トランプ氏も真っ青の人種差別発言が白昼堂々繰り広げられる様子が見て取れるだろう。  このような発言は、在特会などの一部過激な連中によって発せられているだけではない。同種の発言はネットでも横行している。いや、ネットこそがその温床の一つだ。  twitterを少し検索しただけでも、多くの差別的発言が見受けられる。極めてカジュアルに人種差別発言が発せられ、それはしばしば、「死ね」「出て行け」と、存在を完全に否定するような発言とセットになっている。  他者の人権を踏みにじり、社会の構成員をその行為ではなく属性を理由に排除しようとする極めて不公正な言説が、今の日本には横行しているのだ。

ヘイトスピーチは規制すべきか?

 特定個人を名指しした、「山田太郎を肥溜めに叩き込め」「山田太郎よ、出てきて殺されろ」などの発言は明白に脅迫罪に該当する。  しかし、「朝鮮人殺せ」「朝鮮人を肥溜めに叩き込め」といった発言は、現状の日本の法体系では何の罪にも該当しない。名誉毀損にさえ問うことができないのだ。また、これらの発言が不法行為(民法709条)として認定されることもない。  反対に言えば、個人名さえ明確にせず、民族名などの属性全体を主語にしている限り、どんな暴言も許されるということになる。  しかしこれではあまりに不公正ではないか。  この辺りの不公正さをいかに是正すべきか、社会はヘイトスピーチとどう折り合いをつけるべきか、「ネットにおける暴言」で一躍時の人となった(※)、高島章弁護士に訊ねてみた。 「結論から言って、ヘイトスピーチは規制すべきでない」と高島弁護士は言う。 「憲法上、表現の自由に対する規制は過度に広範になってはいけない。また、明白性の原則がある。どういう言葉を使ったら法令違反となるか明白にする必要がある。やはりどうしても立法技術的に、罪刑法定主義や刑罰の明白性の原則に抵触するような立法しかできないと思いますね」  確かに、表現の自由は重要な原則だろう。一方で日本には「表現の自由」として果たして割り切れるのかと首を傾げざるをえない事例が横行していることは、先に振り返った通りだ。ああした事例も「表現の自由」の範疇なのだろうか? 「そうギリギリ詰められると答えはないですよ……」と、高島弁護士は言葉を詰まらせる。  しかし、言葉を詰まらせ続けるわけにもいかない。ああした発言には常に明確な「被害者」が存在するのだ。被害者たちは救済される必要はないのか? 「そりゃそうでしょう。その必要はある。だからそこで私の考えには矛盾があってね。そこから先の矛盾の解消は難しいですよ」

法によらざる対応

 高島弁護士は、新潟水俣病第3次訴訟の弁護団長を務める。「少数者の権利」「被害者の救済」といった分野では、一般的な弁護士よりもはるかに優れた実績を持つ弁護士だ。その高島弁護士でさえ、「ヘイトスピーチと表現の自由の相克」「ヘイトスピーチで発生した被害者救済のありよう」については、頭を悩ませる。  このように、「ヘイトスピーチを法的に規制する」という課題は、難しい問題を孕んでいる。とはいえ、難しいと切歯扼腕しながら議論している最中にも、被害は発生し続けているのだ。と、すれば目下の課題は、「法による救済がない中で、どのようにヘイトスピーチと対峙するべきか?」ということだろう。 「そりゃこんな言葉投げかけられたら、1、2発、殴ることがあるかもしれません。もちろんそれには違法性は有る。犯罪にはなります。しかし汲むべき情状はある。」と、高島弁護士も「私的制裁」を理解する立場にはいる。  ただ、その度に発言者に鉄拳制裁を加えるわけにもいかない。それでは被害者側にあまりにも負担が多すぎるではないか。であるならば、被害者側に負担がかからず、また、法に頼らずに、ヘイトスピーチと対峙する方策を模索しなければならないはずだ。  その際、日本と同じくヘイトスピーチ規制法を持たない数少ない先進国・アメリカで起こった、トランプ発言に対するアメリカの公職者たちの対応は参考にならないだろうか?  冒頭で振り返ったように、この発言のためトランプ氏は、身内であるはずの共和党からでさえ「共和党はそんな政党ではない」と、完全に突き放されてしまった。ホワイトハウスからは、「カツラ」「歴史のゴミ箱」などとオバマ政権の報道官とは思えぬ表現を用いて批判さる始末。  つまり、トランプ氏は、全方位から徹底した罵倒を浴びせられている状態にいると言っていいだろう。  マーティン・ルーサー・キング牧師などを中心に行われた公民権運動の結果として成立した「1964年の公民権法」は、人種や宗教、性、出身国による差別を禁止する。しかし、アメリカ社会から人種差別がなくなったとは決して言い難く、差別の実態は他国と比べて過酷な側面さえある。  だからこそ、アメリカの公職者は今回のトランプ発言のような差別的な表現に戦う姿勢を示す。戦う姿勢を示すことによって、こうした発言が、合衆国のよって立つ、「自由」「人権」「法の下の平等」などの諸価値を蝕むことを防ごうとする。 「社会防衛として、レイシストと対峙する」 「その際には、徹底して批判し、罵倒する」  合衆国にはこうしたコンセンサスが、「政治家の綺麗ゴト」レベルであったとしても、確実に存在するのだ。  我々の社会も、大小さまざまな「トランプ」を抱えている。そしてその「トランプ」はあちこちに顔を出し、社会を蝕み続けている。  国会に於ける反差別法制の議論は始まったばかりであり、いつ終結するのか見通しが立たない状況だ。そんな中で我々は、自力で「トランプ」と対峙しなければならない。  普段は甲論乙駁して意見の一致を見ることが少ないアメリカの民主共和両党が足並みを揃えて、トランプ氏を悪し様に罵倒した押した事例は、アメリカと同じくヘイトスピーチ規制法をもたぬ我々が目指すべき、一つの方向性を示しているように思えるのだ。 ※「報道部長が暴言ツイート 新潟日報、弁護士に謝罪」(東京新聞2015年11月25) 【追記】 高島弁護士にお話を伺った時の音声データを高島先生の了解のもと公開いたします。 <取材・文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie photo by Gage Skidmore on flickr(CC BY-SA 2.0) )
すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(sugano.shop)も注目されている
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