千松信也氏
近年、イノシシやシカによる「獣害」被害が増加しつつある中、自治体が獣害対策として狩猟に携わる人間を増やすさまざまな施策が行われている。また、狩猟をテーマにした書籍やマンガなども増え、にわかに「狩猟」に注目が集まっている。
京大在学中から狩猟を始め、今もなお運送業をしながら自らの食の調達のために狩猟を行っている千松信也氏は、こうした状況をどう見ているのだろうか?
「年配の猟師さんがどんどん引退していって、獣害対策のためにも猟師の必要性が増し、行政も狩猟フォーラムみたいな感じでバックアップしていますね。狩猟のハードルの一つに、免許制でかつ狩猟者登録やら狩猟税やらいろいろお金が掛かることや手続きの煩雑さが挙げられるんですが、自治体によってはそれらの経費を半額援助するという施策を行うところもある。また、捕獲された獲物に報奨金を払うところも増えています」
そう語る千松氏だが、後進の猟師が増えることを歓迎する反面、必ずしもこうした風潮に賛同できないところもあるという。
「獣害が増えている状況の中で、駆除のニーズがあるとか、獲ったら肉として売れるというので、ビジネスチャンスだとして企業が入ってきたらどうなるかということを考えてしまうんです。警備会社からシロアリ駆除業者から農機具メーカーからいろいろなところが今の状況をビジネスチャンスと見ていて、そこが自分たちの持ってきたノウハウをうまく転用してできないかとやろうとしている。しかし、やっぱりそういうビジネスや金儲けが全面に出た場合に、果たしてそれが持続的に自然を利用することと両立しうるのでしょうか」
また、個人の猟師にしても「報奨金目当て」の猟師はそもそも獲物に対する姿勢が違うという。千松氏は近著『
けもの道の歩き方 猟師が見つめる日本の自然』(リトルモア刊)の中で、先輩猟師の声としてこんな言葉を引いている。
“「ウチの自治体は金があるから、有害駆除の報奨金が結構出る。それで最近、狩猟は金にならないからしないで、駆除だけやるやつがおる。あいつらは猟友会にも入らんし、獲った祥子の前歯だけ引っこ抜いたら、あとはポイや。肉なんかいらんらしい。イノシシの駆除のときも、ちっこいウリボウも平気で殺しよる。一頭いくらでやっとるさかいな」”
「そうなんです。猟師は自分の狩場の獲物を獲り尽すということはしない。
しかし、そこにカネが絡むと不正も問題になる。道で轢かれていたシカを、自分が駆除したと偽って申請したとか、報奨金が高い町の知り合いに送って多く受け取ったとか、それだけならまだしも、もっと規模の大きなビジネスが入ってきたらどうなるか。
ビジネスは冷徹なまでに合理的なので、捕獲効率が悪く、運搬コストのかかるエリアでは猟をやらなくなり、利益をあげるために数が獲れる場所であることになる。こういった偏った捕獲は生態系のバランスをとるということとは正反対になります。
何千万もかけて巨大な処理施設を作ったり商品化したら、今はシカやイノシシが増えすぎているからいいものの将来にわたってそれが維持される保証はありません。ビジネスである以上、安定供給されねばならず、捕獲ノルマなどもできてくる。
日本は自然が豊かだというけど、僕は脆弱なものだと思っています。どれだけ森林の面積が増えて森林飽和の時代だと言われたとしても、人間が本気になればかつてのニホンオオカミのように野生動物は簡単に絶滅させられてしまう。分断された山塊が多い日本の森では、地域個体群の絶滅ということも容易に起こると思います」
そもそもシカやイノシシが里におりて農作物を荒らす「獣害」自体も、人間が引き起こしたものだ。
「そもそも、『手付かずの自然』なんていうのは幻想に過ぎません。今の日本の自然の状況というのは人間がさんざん手を入れていびつな状況にしたまま数十年ほったらかしにした状態。これを放置するのは自然破壊の継続でしかない。
材木としていくらでも売れるからって奥山にまでスギ・ヒノキ、カラマツなどの針葉樹を植えまくったものの、外材に負けて一切売れなくなり、切れば切るほど赤字ということになってしまった。常緑針葉樹の森は放置されると薄暗くなり動物の餌がなくなってしまう。その結果、これまた放置されたままになっている人里近くのエリア、かつて里山として炭とか薪を取るためにクヌギやコナラが優先的に育成されていたエリアにそれらの木々になるドングリを求めて、イノシシやシカが移動してきた。結果として里山の隣の畑に進出して獣害が増えるということになっている。すべて人間が好き放題に森林を改変してきた結果なんです。こうした状況を動物たちは黙々と受け入れているんです」
<取材・文・撮影/HBO取材班>