ハンガリーで女性カメラマンに蹴られた難民親子、マドリードの「国営サッカー監督養成学校」に就職が決まる
エル・コンフィデンシャル」紙)。
彼ら親子より先にドイツに入国していた18才の息子のモハマッド君も合流して3人で9月16日の早朝に列車でミュンヘンを出発してマドリードに向かった。飛行機ではなく、列車を選んだのは、空港でのパスポートコントロールで問題が起きることを回避するためだったという。ちなみに、彼の夫人と二人の子どもはまだトルコ国内で移動中だという。
また、「エル・ムンド」紙によれば、オサマ氏はアサド政権に反逆して拷問も受けていたという。そしてイスラム過激派ISISが彼が住んでいる都市にまで侵入する可能性が強くなったことを前に亡命を決めたのだ。同紙の取材には、難民としての旅は〈「辛く、緊張の連続だ。非常に困難を伴い、危険でもあった。息子と私は死にそうな時もあった」〉と語っている。更に〈「足で蹴られた時は驚いた。息子の顔を見た時には恐怖とパニックで2時間泣いていた」〉とも述べている。
もちろん、CENAFEがオサマ氏を受け入れることを決めたとはいえ、まだまだ障害はある。その最たるものは語学の修得である。選手と意志疏通が出来てチームを指揮出来るようになることが必要なのだ。
とはいえ、シリアで90年代に最強のチームであったアル・フォトゥワ(Al-Fotuwa)を指揮した経験をもつオサマ氏である。もし仮に彼がスペイン語を習得すれば、スペインリーグで彼が指揮するチームも誕生する可能性は決して低くない。
ちなみに、オサマ氏の祖国であるシリア代表は10月8日に2018年にロシアで開催されるワールドカップの最終予選に向けて日本代表と対戦することになっている。Eグループで3勝して首位の位置にあるのだが、チームはアラウィー派、スンニ派、キリスト教の選手が集まったチームである。5年続いている内戦で代表選手を集めるのは容易ではないはずだ。
さらに、「エル・コンフィデンシャル」紙によれば、〈シリアのサッカー選手の給与は公務員並で低く、タクシー運転手など副業に就いて収入を補っている〉という。〈サッカー連盟もシリア政府からの支援は殆どなく、その一方でサッカーに絡む汚職などは存在している。選手が外国で試合をする時にシリアサッカー連盟は選手の旅費を負担出来ず、選手が自ら負担するということも往々にしてある〉というほど環境は劣悪だ。
アサド政権から拷問を受け、サッカーでも決していいとは言えない環境で最強チームを指揮していたオサマ氏。危険な避難と女性カメラマンによる迫害を受けて辿り着いたスペインサッカー界。新天地で幸福を掴んで欲しいものだ。
<文/白石和幸>
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営する生活。バレンシアには領事館がないため、緊急時などはバルセロナの日本総領事館の代理業務もこなす。
9月8日、ハンガリーの極右政党ヨッビクに近いインターネットTV局に所属する女性TVジャーナリストがセルビアとの国境を越えて押し寄せて来るシリア難民を足で蹴るという出来事があった。彼女の非道な行動に世界から批判が集まり、その影響で彼女は所属していたテレビ局から解雇された。
そしていま、この彼女に蹴られて転倒した親子に関する後日談が話題になっている。
この親子は9月16日にドイツのミュンヘンからマドリードに到着した。スペインの国営サッカー監督養成学校(CENAFE)に籍を置くためだ。
この親子はオサマ・アブドゥル・モセン氏と7才の子どもザイッド君という。実はこの父親、シリアのサッカー1部リーグに属し、90年代にシリアを代表する最強チーム「アル・フォトゥワ(Al-Fotuwa)」の元監督であったということが判明。スペインのCENAFEのミゲアンヘル・ガラン部長は彼をCENAFEに招聘することを決め、早速同学校でアラブ語を話すモッロコ出身の生徒モハメッド・ラブロウジー氏をミュンヘンに送りオサマ氏と接触。CENAFAが彼と契約を結ぶ用意があることを伝えた。オサマ氏はその申し出を早速応諾したという(参照:「
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身
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