「サムライ・シル」
欧米諸国で日本食が人気ジャンルの一角として定着してから久しいが、ロシアでもこれは例外ではない。
今やモスクワのような大都会ではスシやテンプラを食べさせるレストランはどこででも目にすることができるし、それ以外のレストランでも日本風を謳った料理をメニューに加えていることは珍しくない。
それどころか、日本食は今や、中央アジア料理やカフカス料理と並んで最も普及したエスニック料理と言えるだろう。しかも日本が中央アジアやカフカスのように旧ソ連の一部であったわけでないことを考えれば、驚異的な普及度と言える。特にスシの人気は大したもので、普通のスーパーでも醤油や海苔(日本製、韓国製など)が手に入るくらいだ。
日本食チェーン「ヤポーシャ」のマスコット
ロシア人が日本食をこれほど気に入った理由はいくつか考えられる。
ひとつにはヘルシー志向が挙げられよう。ロシア人女性と言えば「18歳までは天使のように美しいが、30歳を過ぎると樽になる」などという話をよく耳にするが、これは長い冬に生鮮食品が手に入らず、脂肪過多の食品に依存するロシアの伝統的な食生活の結果、という側面が大きい。
一方、一年を通じて様々な食品が手に入るようになった現在のロシアでは、食生活も多様化し、ヘルシー志向の食生活を心がける人も増えてきた。こうした中で、脂肪分の少ない日本食は「東洋のヘルシーな食事」というイメージで肯定的に受け止められている、という部分がある。
もうひとつには、日本食がエスニック料理としては味付けが大変おとなしい、という要因があるのではないかと筆者は考える。
ロシア人にはスパイシーな味付けが苦手な人が多く、ロシア料理も割に単調な味のものが多い。かつて筆者がモスクワに住んでいた頃、自宅近所のインド料理屋に立ち寄ったところ、インド人が経営する本格インド料理屋であるにも関わらずスパイスの味があまりに薄くて驚いたことがある。そのくらいしないとロシア人の口には合わないのだろう。
世界中どこにでもあるという中華料理屋がモスクワでいまひとつ影が薄い背景にも、このあたりの事情があるように思う。
また、ロシア連邦を構成する民族のひとつには朝鮮族があるし、ロシアでは北朝鮮資本も韓国資本もビジネスを行っているのだが、やはりコリアン・フードの存在感はいまひとつである。たとえばモスクワの北朝鮮資本レストラン「高麗」は故・金正日総書記も訪露時に食事をしたという本格朝鮮料理レストランだが、客の大部分はアジアの味が恋しくなった日本や韓国のビジネスマンたちで、ロシア人の姿はあまり見ない。
これに対して淡白な味付けの日本食は、割にロシア人の舌にあったものと見える。
だが、ここで言う「日本食」の中身には注意が必要だ。これも欧米諸国と同様、ロシアで普及している「日本食」の多くはカッコ付きである。
たしかにモスクワ市内には日本人のシェフが居る日本食レストランが何軒かあり、そこではかなり本格的な日本食を食べることができる。また、日本でも報じられたが、モスクワ市内に『丸亀製麺』が進出し、本格的なうどんが好評を博していることも事実である(ロシアにはスープ・ラプシャーという麺入りスープを食べる習慣があり、受け入れられる素地があったのだろう)。
しかし、「日本食」レストランの圧倒的多数は、経営にも調理にも日本人がタッチせず、ロシア人向けにかなりカスタマイズされた料理を出すレストランだ。
たとえばロシアでは「スシ」と言えばにぎり寿司ではなくカリフォルニア・ロールに代表される「ロール」である場合がほとんどである。具はサーモンやウナギなどロシア人がもともと好む食材に加えて、何故かトビッコが大人気で、大抵の「スシ」には入っている。米も酢飯ではないことが多い(だから厳密に言えば、この時点で寿司ではないのだが)。
こんなこともあった。
以前、筆者がある日本食レストランに脚を運んだときのこと。ドアを開けると、忍者とも七五三の衣装ともつかぬ派手な和服(状のもの)を着込んだ大男が立っており、「イラサイマセー」と叫ぶと銅鑼をジャーン!と鳴らした。
メニューを見ると「スキヤキソバ」「サムライロール」など不思議な名前の料理が並ぶが、とりあえず「スキヤキソバ」を注文すると、茹でた日本蕎麦を牛肉、ピーマン、タマネギと一緒に炒めたものが出て来た。意外にもこれがとてもうまかったのだが、「牛肉以外、スキヤキの要素ないよな……」と思ったのも事実である。
つい先月、モスクワで入った店では、壁に「寝耳に水」「勝てば官軍」などの日本語が脈絡無く書かれており、メニューには「アヒル・サラダ」「カニ・バナナ」などかなりシュールな言葉が踊っている。やや目眩を覚えた。
⇒【写真】はコチラ https://hbol.jp/?attachment_id=59308
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「勝てば官軍負ければ賊軍」とあるモスクワの日本料理店。味わい深い
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アヒル・サラダとカニ・バナナ
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メニューによると「タマキ・ナマ」と書かれている
もっとも、以上のケースは本格日本料理ではないにしても、それなりにおいしい。なかには朝鮮族が経営にタッチしているレストランもあり、こうしたアジア系の店は出汁やうまみといった基本概念は押さえてある。
一方、なかには、食べていて「つらい」というものもある。
たとえば某大手日本食チェーンの「ラーメン」を注文すると、「醤油を湯で溶いただけではないか」と思われるような薄いスープにソーキソバをグズグズにしたような麺が浸かっている……というものが出て来たりする。「うまい/まずい」を通り越して「味がある/ない」という新たなラーメンの評価基準をモスクワで知ることになった。
だが、欧米人や中国人やインド人が日本のレストランに入ったらどう思うかを考えれば、こうした「日本食」をあまり上から目線で見下す訳にはいかない。
各国の人々から見れば、本格的な料理、ちょっと変だがおいしいもの、何だこれはと思うもの、が日本にもひしめいているに過ぎない。しかも、本格的な料理が必ずしも人気とは限らず、ある国で美味とされるものが別の国ではそうだとも限らない。
だとすれば、ちょっとヘンなものも含めて、日本食のミームのようなものだけでもロシア人に愛されていることは喜ぶべきことなのだろう。インドに端を発するカレーが英国経由で日本の国民食になったように、あるいは中国のラーメンがそうであるように、ちょっと不思議なスシやソバがロシア人の食生活の欠かせない一部になっていくのなら、一日本人として生暖かく見守りたいと思う。
<取材・文・撮影/小泉悠(未来工学研究所)>
こいずみゆう●早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究などを経て、現在はシンクタンク研究員。Yahoo!ニュース個人(
http://bylines.news.yahoo.co.jp/koizumiyu/)や『軍事研究』誌でもロシアの軍事情勢についての記事を毎号執筆。個人サイトWorld Security Intelligence(
http://wsintell.org/top/)を運営