東芝粉飾決算問題、失われたふたつの柱
東芝の粉飾決算問題、1500億円以上の金額となる巨額の粉飾となった今回の騒動であるが、既存の報道ではやはり福島原発事故から始まる原発事業の不振に触れた報道が多いようだ。
しかし、原発事業の不振だけが巨額粉飾の発端だったのだろうか? 東芝の業績悪化の経緯を紐解くと、別の要因も見えてくる。
原発事業は、2006年頃に東芝が主軸と捉えていたマーケットだ。メディアでの報道の通り、この原発事業は福島第一原発事故で大きな痛手を被ることとなるわけだが、実は東芝にはもう一つ、主軸と考えるマーケットがあった。それが、半導体事業である。
当時、東芝のNANDメモリ(フラッシュメモリ)分野とイメージセンサー分野は隆盛を極めており、非常に高い業績をあげていた。90年代初頭から培った技術は、急激に伸びるフラッシュメモリ市場に非常にマッチングしており、向かうところ敵なしの状態であった。
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先述の通り、2006年段階での東芝の半導体主力商品はNAND型メモリとイメージセンサーであり、これらは高い業績をあげていた。また、原発事業では、米国のプラントメーカー買収など、精力的に事業の拡大を推し進めていた。しかし、2006年のリーマン・ショックですべての状況が変わる。主軸と捉えていた上記の2つの事業だけでなく、家電も含めたほとんどの事業で業績が悪化、結果として2500億円の赤字を出してしまう。
だが、そんな状況の中でも東芝は切り札を持っていた。NECエレクトロニクスと東芝の半導体事業を合併するという計画が水面下で進行していたのだ。
これは同じIBM方式の生産形式をとるNECと合併し、経営合理化を図るというものであり、両者にとって非常にメリットの高い計画であると思われた。当時、その合併に関わった知り合いのNEC技術者も「合併は秒読み段階だった」と言っている。
しかし、主導権を東芝に奪われることを忌諱したNEC側の意向により、その計画は突如中止へと追い込まれる。結果、東芝は単独で半導体事業を続けることとなるのだが、合理化を図れなかったNANDメモリ事業、イメージセンサー事業ともに業績は急激に悪化。柱の一つを失った東芝は2009年から粉飾を開始することとなる。
この後、福島原発事故を契機に、残された最後の柱であった原発事業も不振に。そして今年、粉飾決算が世間を騒がせることになったのは、誰もが知るところだろう。
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半導体事業の迷走、そして原発事業の不振、主力としていた事業が揃いも揃って不採算部門へ転落した東芝であるが、粉飾決算の他に、有効な対策を打つことができなかったのだろうか。
ひとつの事業に固執しつづけた結果転落したシャープ、リスクヘッジに失敗し、解決策を見出せず不正に走った東芝。ぱっと見、まったく違う体質を持つ企業のようにも見えるが、どちらの企業にも“対応の遅さ”が顕著に見て取れる。
かつて電子立国と言われ、スピード感が売りだったはずの日本企業だが、組織が大きくなるにつれ、フットワークの悪さが際立っている。この体質を脱却できない限り、日本の企業に明日はないのかもしれない。<文・図版/村野裕哉>
【村野裕哉】
PowerMacとWindows98で育った平成生まれのガジェッター。趣味の旅客機を眺めつつHTML/CSS/Javaなどを中途半端にかじって育つ。ブログなどでレビュー記事を執筆中。twitter : @anaji_murano
二つの柱
粉飾の起爆剤となった半導体事業の失敗
キーポイントに欠ける事業体質
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