「意識高い系」な人々の底の浅さを喝破する本――【深読みビジネス書評】

意識高い系 挑発的なタイトルだ。 『薄っぺらいのに自信満々な人』と聞いて、「あ~、いるいる」「そんなヤツばかりだよ」なんて賛同しつつも、自分の一面を見抜かれたかのような一抹の薄ら寒さを覚えた人もいるかもしれない。「もしかして、自分も周囲からそんな風に思われていないだろうか……」「自分なりに努力はしているつもりだけど、周囲の期待に応えられていなかったらどうしよう」「薄っぺらいヤツだな、と失望させてしまっているかも……」など、我が身を振り返ってしまいたくもなるタイトルだ。  結論的なことを先に述べてしまうと、このタイトルを見て「うわっ、自分のことかも……」とある種の危機感や当事者意識を抱いたのだとしたら、きっと大丈夫。  デキる人ほど「まだまだ自分には至らない部分、足りないところが多い」と謙虚に我が身を振り返ることができる。そして「もしかしたらヌケがあるかもしれない」「うまくいっているように見えるけど、どこかでミスをしていないだろうか」と、いつもどこかで不安を覚え、物事を深く考える習慣を身に付けているもの。だからこそ、常に成長し、洞察力が磨かれ、丁寧な仕事ができて、キッチリと成果に繋げることができるのだ──といったことが、本書で指摘されている。 「能力の低い人ほど自分の能力を著しく過大評価しており、逆に能力のとくに高い人は自分の能力を過小評価する傾向がある」 「能力の低い人は、ただ何かをする能力が低いというだけでなく、自分の能力が低いことに気づく能力も低い」  これは、書中で紹介されている「ダニング=クルーガー効果」という認知バイアスの説明だ。要は「できない人ほど楽観的で、できる人ほど不安が強い」ということ。そして、そうした心性の前提として、多くの人が「自分は平均より上」だと思ってしまう心理傾向をもともと備えている点も看過できない。 「人はみんな自己愛が強く、自分に甘い。そのために大事な判断を誤ることがある。  それを踏まえて行動する人は、自分のものの見え方の歪みを意識して修整しながら判断することができるため、致命的な失敗が少ない。一方、そのような自覚のない人は、自己愛的に歪んだものの見え方に引きずられて、誤った判断に陥りやすい」  薄っぺらいのに自信満々な人が、どうしてそういう心性を備えているのか、そして、どうして信用ならない雰囲気をまとってしまうのか、この本を読めばかなり見えてくるだろう。  本書は「意識高い系」「SNS」「承認欲求」「コミュ力信仰」「つながる力」といったキーワードを引き合いに出しながら、現代社会において通奏低音のように流れているいびつな自己愛の不気味さ、気持ち悪さを炙り出している。  たとえば、意識高い系と呼ばれる人たちの存在。承認欲求をダダ漏れさせながら、SNSなどでセルフブランディングや人脈自慢に血道を上げているような御仁たちだ。自己啓発や仕事術といった文脈にも敏感に反応し、デキるビジネスパーソンといった雰囲気を醸し出そうとする。  しかし、ちょっと付き合ってみれば、実態が伴わず、底が浅いことが露見し、すぐにその胡散臭さに気づかされるのも、意識高い系の特徴。本書では「ほんとうに意識の高い人ではなく、意識が高いように装うことで自分を売り込もうという思いの強いタイプ」と解説されている。また、そうした人に共通する過剰なまでの「できるアピール」について、次のように喝破している。 「仕事ぶりが微妙な人にかぎって『できるアピール』をするものだ。ほんとうにできる人は、あまり『できるアピール』はしない。  なぜなら、そんなことをしなくても、できる人物だということは周囲にわかってしまうからだ」  至極当然の指摘である。書中では、その背景に潜んでいる劣等コンプレックスについて触れながら、丁寧に解説を加えている。  とはいうものの、個人的には、意識高い系に関する議論は正直食傷気味だ。近ごろはグルッと一周して、「意識高い系は見苦しい」などと発言している御仁が、実は強い意識高い系的心性の持ち主で、同族憎悪のように批判を展開しているケースも散見される。  また、SNSなどで意識高い系の発言を頻繁に放っている御仁が「意識が高くて何が問題なのでしょうか」「自分にはたしかに意識の高いところがあると思いますが、“系”を付けられて揶揄される軽薄なものではなく、本気で崇高な意識を抱いて日々を送っています。妙なカテゴライズはやめていただきたい」などと、若干の居直り感を醸していたりもする。  いずれにせよ、意識高い系に付きまとう“こじらせ感”は、実に面倒くさいものだ。書中では、意識高い系の人に共通する、セルフ・モニタリング能力の低さを指摘するくだりがあるが、過剰な承認欲求を持て余していながら「自分は意識高い系みたいな痛いヤツではない」と思考停止してしまうのも、仕方のない一面なのかもしれない。  本書を最後まで読み進めるにつれて、少しでも自分を大きく見せるために、自分を“盛る”なんて愚行を重ねないよう自戒しながら、地に足を付けて、粛々と働き、日々を暮らすことの重要性を改めて意識してしまうことだろう。終末に向けての議論は、極めて誠実だ。  終章では、つながり偏重な時流にあるからこそ、ひとりでいることの重要性が説かれる。 「自分の中に沈潜しないと、心の声は聞こえてこない。自分が何にイライラするのか、何が物足りないのか、がわからない。一人自分の世界に浸ることをしていないと、いつの間にか自分らしい生き方から逸れていってしまう」  このあたりの考え方は、一大ベストセラーとなった『嫌われる勇気』にも通じる。つまりはそれだけ、“いま”という時代に求められている指針なのだろう。  どうしても自意識過剰にならざるを得ず、対人関係に疲弊してしまう時代にあって、ある種の福音として響く本かもしれない。 <文/漆原直行
薄っぺらいのに自信満々な人

なぜ「意識高い系」の人ほど、たいして仕事ができないのか?

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